日記

気が重いけど書き残しておかなければなるまい。小学校の時の片手に入るくらいの近さの友人が病気で亡くなった。もちろん私と同い年だけど、彼女は早生まれで、まだ誕生日を迎えていない。3人のお子さんを持つワーキングマザーだった。Facebookでだけつながれていて、それより前は年賀状のやりとりをしていたけど、我が家庭で年賀状をやめたのを機に年賀状を出さなくなってしまった。こういう時になかなかつらいですね。

細かい情報をつい書きたくなるけど、わたしはともかく相手を特定することがたぶんに含まれるのでやめておこうと思う。

共通の友人から連絡をもらった瞬間、天を仰いだ。正確には天井を見上げた。人はどうにもならんことがあると本当に上を見るんだなと思った。

おそらくいろいろな人が同じような体験をしていると思うけど、ここまで生きてきて、リアル同級生、または1学年くらい上か下の人たちの中で、何人かが亡くなっている。原因はさまざまだけど、だいたい「まだ若いのに」って思っちゃう。自分と対して変わらないのに、「まだ」「若い」ってなんだろう。19歳、32歳で部活の友人を亡くした。一緒に年齢が重なっていかないのが(未だに)不思議でたまらない。

4年前に知人が亡くなった時のような激しい動揺は今はない。リアルで会ったのがあまりにも前だからか、年齢的になのか。でもその時とは確実に違う形でやっぱり動揺している。

少し前に高いレンズをネットで買って、それが届いたのが今朝だった。なぜか買う時にも届いた時にも、「私に何かあったらこれを売ればいくらかにはなるな」と思った。帰宅してレンズを触ってみて、心からそう思えたので、夫にそのように伝えた。「この辺にあるレンズ全部売ればいいから」って。遺言みたいになっていやだなぁと思ったけど、しょうがない。本当に思ってしまったんだし。

かなり近しい友達だとストレートに呼べる人がいなくなったのは2人目で(私からの一方的な換算で申し訳ない)、不思議なことに2人とも誕生日をよく覚えている。まだ小さい……というとちょっと違うけど、牧歌的な頃を過ごして誕生日プレゼントなどを交わし合ったからかもしれない。または、自分の誕生日と相対的に考える機会が多かったからかもしれない。とっさに年齢を考えた時、早生まれだったな、と思い出していた。