Threadsどころか昨日はXでもめちゃくちゃ話題になっていた吉本ばななさんのこのnote、昨日10回以上は読み直した気がする。Xでの感想もたくさん読んだ(おすすめタブで流れてきたので)。
この辺の記事にも目を通した。
似たような状況で、規模こそ違えど実家に送金をしていた状態で、母と妹が二人でぼろい借家に住んでいる*1、という点で、妹に重ねて、吉本ばななさんのお姉さんのことを考えた。
私が結婚を前提とした同棲のために実家を出た時、妹は(母によれば)自分も家を出ようと思っていたのにお姉ちゃんだけずるい、というようなことを言ったそうだ。今では本当かどうかわからないけど。当時の私は「じゃあ自分もお金を貯めて家を出ればいい」としか考えなかった。そして、反りの合わない妹と、母の前でくだらないこと(猫がどうのこうのとか)で喧嘩をし続けるのがとにかくいやだったので、物理的な距離を置くことができて本当によかったと思っているし、今でも思っている。
私から妹に言いたいことは山ほどあったが、それはあまりにも姉妹喧嘩に近いことなのでちょっと置くとして、妹からすると私は今回のnoteでいう吉本ばななさんのような立ち位置になる。外から見ていろいろ言う人。母親のそばで一緒に暮らす娘と、自分の好きなように暮らすもう一人の娘。ただし送金付き。
生活を支えたからえらいとかえらくないとかじゃなくて、もうこれは親と子どもと、もう一人の子どもの折り合いの付け方の話に他ならない。
さて、私がなんでこんなことを、普通は小説に溶け込ませて同じ境遇の人を救うために物語に乗せて書くようなことを赤裸々に書いているかというと、姉との関係が最終局面に来ているからである。
私は今六十一、姉が六十八、ああ、ついに来てしまったのか、と思う。
しかし、私にはどうすることもできない道のりだった。
母が74、私が50、妹が47。やっていることも世代も才能も手にしたお金も、何もかもが違うけれど、「最終局面に来た」と私が感じたのは本当のことで、それでいろいろなことを動けるうちに整理し始めた。吉本ばななさんも自分ができるうちにやろうとしたのではないかと想像する。お姉さんはどうだろう、病気のことが本当だとするともう自分でなんとかできるところは通り越しているようにお見受けする。
吉本ばななさんはこの文章を「値付けをして売るため」に書いているので、いわば「信頼できない語り手」の可能性がある。文章力があるし、なにしろデビューから今までnoteにあるようなことを一切書いていないくらいの書き手なので、どこからどこまで事実として信頼できるのかは難しい。お姉さんから見たら当然のように違う見え方や書き方になるだろう。私から見る母と妹が、妹から見る母と私とは全く違うように。
お姉さんから現状や考えていることが語られる可能性は低いのかもしれないが、吉本ばななさんの話だけを鵜呑みにするのは結構難しそうだなと思っていて、でも書かざるを得なかった背景を考えると「そりゃあ書くよな……」とも思ったりして、感情が忙しい。
そして「父親の不在」。令和最新版の価値観からすると「吉本隆明は何をしていたんじゃ」となるが、昭和を生きた夫婦なんてだいたいそんなものなんじゃないだろうかと思う。私のこれまでの話にも父親はほとんど登場しない。父親は私にとっては、頼もしくて尊敬できるというほんのちょっとの要素を除いては、「安定した家庭を営むという覚悟を持たなかった、昭和に生まれた明治の男」みたいなもので、結婚継続中になぜか私を交際相手(愛人……とも言いづらい、よくわからない)に引き合わせたり、その息子の家庭教師をさせたりしていて、何がしたいのかさっぱりわからなかった。母親との離婚話がまとまって家を出ていった後は、一本の電話もメールも来なかった*2。
不幸な家庭の不幸な話の一部、みたいなもので、当事者4人のうち2人が物故者、1人は病気、となるともう真実は全くわからない。そういうものだと思って吉本ばななさんのnoteを繰り返し読んだ。私がこれから家族について何を書いても、少しも真実にはかすりはしないんだろう、と思った。
いろいろな感想に触れて、自分でXに投稿するのもなんだかまとまらないし、だったら自分のブログ(日記)に書いておけば、あとあと何かしらの役に立つだろう+リンク集、ということでもう1回書いた。もし吉本ばななさんのnoteに編集の手が入ってまとまった読み物になる日が来たら、そちらも読んでみたい。