日記

先日亡くなった友人のお別れ会に行ってきた。

旦那様の深い思いやりに基づく、彼女の愛した音楽と仕事と家族について教えてもらえるようなセレモニーであった。小さい頃は一緒に遊んだ妹さんが親族席にいて、やっぱり似てるな、と思った。お母さまともかつて交流があったのに、お母さまがいらっしゃるかどうかはわからなかった。40年弱ほど前の顔はなかなかわからないものだなぁとしみじみした。

小学校(中学校)の同級生は全然変わってなくて、その通り「変わってないね!」と言ったら「○○(旧姓)さんも!」と言われたので、きっとみんなそんな感じなんだろう。

昔の写真を持ってきてくれた人がいて、卒業アルバムを撮影した画像を見ていたら、当時「(関西弁的に)シュッとしている」と思ってた同級生たちが、実は私と同じくらいには子供の顔で写っていることを認識できた。なんだったんだろうねあのコンプレックス。自分だけがちゃんとできていないというコンプレックス。いや、今でもあの卒アルが報じられるのは絶対いやなので、そういう事件に巻き込まれないことを祈る。

極力宗教色を排した会だったのに、皆さんが献花して、棺の中を見る時には、私も含め手を合わせて目を閉じる。こうべを垂れるだけではうまく弔意が示せないんだよなぁ。

9年前にはすとんと着ていたはずの喪服、今日着たらあまりにもぱつんぱつんで、せめてすとんと着られる程度までにはやせようね……と思った。