今日は人生2度目のテニスに出かけ、銭湯風温泉で炭酸っぽい源泉かけ流しのお湯につかり、美味しい肉のレストランに行って肉充となり、帰宅するちょっと前でゲリラ豪雨っぽい雨に降られてずぶぬれになり、一通り濡れた衣服やらバッグやらを片付け、ころんと畳の上に転がって携帯ではてなアンテナを見ていたら、このエントリーに行き当たりました。
大阪に住んで1年半、今日は神戸まで出かけたり、阪急に乗ったり、自分の住むところが関西であるという認識をいちいち持たなくても暮らしていけるようになったと思ったのは甘かった。ドロリッチくらい甘かった(まだ飲んだことないですすみません)。携帯から引き込まれるように読み進め、大船〜富士見町〜湘南町屋〜湘南深沢〜西鎌倉〜片瀬山、ときたところで読めなくなってはじかれるように飛び起き、ネットブックを立ち上げました。片瀬山〜目白山下〜湘南江の島、までどうしても読みたかったし、頭の中にそれぞれの駅にまつわる思い出が走馬灯のように(用法間違ってますが本当にこんな感じに)浮かんでは消え浮かんでは消え、身体は大阪だけど気持ちは一気に鎌倉に吹っ飛びました。やっぱり私はかまくらっ子*1。
私なりの湘南モノレールを語る(語りたい、誰も読まなかったとしても)のはまた別のエントリーに改めるとして。id:goldheadさんと私とを結びつけた、単に同じ湘南モノレール沿線に住んでいた人同士というだけではない、個人的には奇跡と思わざるを得ない繋がりとまではいかないけれど、プチ繋がりを1つ発見したので、それだけはここに書いておこうと思う。
ともかく、私は諏訪ヶ谷の交差点まで来てしまったのだ。右手に見えるのはそば屋「山家」。理由はわからぬが父が毛嫌いしており、また、中高生が一人で行くような店でもなく、いまだに私はその中を知らない。
諏訪ヶ谷の交差点。京急バスで「諏訪ヶ谷行き」に乗ると必ず降りなければならないところ。同級生が諏訪ヶ谷の近くに住んでいたり(学区なので大量にいた)、西鎌倉の住宅街のだらだら坂の起点/終点だったり、一時期同級生に誘われてキリスト教の教会の日曜学校に通ったり*2、何かとなじみ深い場所だった。何の用事かは忘れたけど諏訪ヶ谷でバスを降り、どしゃぶりの雨の中を湘南モノレールの西鎌倉駅(バス停でいうと「津村」)方面まで歩いて帰って死ぬほど心細かったのも今ではいい思い出だ。当時はその並びにある住宅地は造成されていなかったし、明かりといえば時折(夜遅かったので15分おきだったのか、7分半おきだったのか、あんまり記憶が定かではない)やってくるモノレールの明かりだけ。街灯も整備されておらず、テニスコートの明かりが見えた時は心底ほっとしたのを覚えている。
そんな諏訪ヶ谷の交差点近くに「山家」はある。入ったことはない。しかし入らないのには明確な理由がある。同級生の家が営むそば屋だったからだ。その同級生はたしか3、4年生の時に同じクラスだった(偶然ながら、トンネル少年も同じクラスだった)。私の記憶にあるその少年はとりたてて得意なことや目立つことはなく、むしろちょっとどんくさい存在として、クラスメートにからかわれることがあった。多少は話したことがあったと思うが内容は全く覚えておらず、5、6年生でクラスが分かれた後同じ中学に進学したが、その後どうしたかは全くわからない。同級生の中では「山家」はその少年の家として認識されており、そば屋が小学生にとって敷居が高いのと同じくらいのレベルで、照れや避ける気持ちが多く、あまり近づきたいお店ではなかったと思う。母親は一度入ったことがあると言っていたような気がする。味について言及したかどうかも覚えていない。次に実家に帰る機会があったら、そして「山家」のことを覚えていたら、聞いてみたいと思う。
「山家」と聞いて思い出したのはその少年の坊主頭と、諏訪ヶ谷の交差点から見上げた西鎌倉のだらだら坂だった。
(文体がgoldheadさんに影響されまくりでしかも半端ですみません)