高校での履修偽造問題

ことこの問題に関しては、私は少数派であることがエントリやニュースなんかでわかってきたので、批判もできないし肯定もできなくなって参りました。というわけで単に思ったことのみつらつら書いてみたり。

なんだか「大学に受かる」という観点からは無駄なことばかりしていたが進路指導で怒られた覚えもない、というか進路指導があった覚えがない。

で、なんでそれで大丈夫だったかというと予備校あったもんなということになる。高1・高2と駿台に数学を勉強しに行っていて、高3のときは世界史。もちろん休みには英数社と講習に通っていたりして、模試も含めて対策は取っていたわけである。逆にいうと入試がどうの受験がどうのという話は予備校に任せて、高校では将来に向けてとか人間としてとか、なんか曖昧模糊たる目標に照らして毅然と教育するのだみたいな精神だったのではないかと思う。ちなみにウチの高校は2年の体育が週5時間あり、こう言うと「ははあ高3のを前倒ししたな」とよく勘繰られるが高1と高3は週4時間である。体育学校じゃないんだから。

これが許されるのはそれでも入試実績があがってたからだが、それが可能なのは(1) まあ入学時からそれなりの素材が揃っており、(2) 生徒もアホではないので自分で受験産業に頼って対策を取るからである。逆に、こういう条件がなければ学校がなんとかしないと受験という目に見える数字が落ち込む。数字が落ちているのに長期的なポリシーを貫くというのはなかなか難しい課題である。東京だと、管理教育で学校が率先して受験対策を徹底するのは新興で一流半くらいまでのし上がってきた高校に多かった。これは(1)が欠けている例。逆に今回問題になった学校は(2)が欠けているパターンだろう。と思うと、これは都市と地方の格差という問題の一変奏なのである。

引用が長くなったけど、そういや母校もこんな感じだったとぼんやり思い出した。受験勉強しなきゃと思う人はそれなりに周囲の予備校に行っていて(私も2年から夏季・冬季講習に行き始めたっけね)、やれ駿台だやれ河合だと話題になっていた。

学校自体は「ちゃんと勉強しないと大学落ちるからね」という警告を1年の時にデータ出しつつ行ったきり、特別な進路指導はなかった。美大や音大に行きたい人はそれなりに先生に相談しに行っていたみたい。受験に詳しい先生もあんまりいなかった……気がする。何しろ私の3年次の担任(保健体育)は、保健の時間に「愛と金どちらが大切か」とお題を出して、生徒の半分以上が極めて現実的に「金」を選んだところ「愛というのはこんなに大切で云々」などと言い始める始末。しかもこれ3年の時。今思えばのんきに保健やってたんだなぁ、と懐かしい。

体育は体育で週3コマ(1コマ70分なので普通の学校なら4〜5回?)あって、なわとびができないと朝練させられたり*1、マラソンをがんがんさせられたり、体教(わー懐かしい言葉)がやたらといばっていた。3年次には多少負担は軽減したけど、それは校舎建て替えにより校庭が使えなくなったからで、それでも近隣の運動場に移動して(するなよ)(しかもバス借りて)バトミントンやらバスケやらやっていた。もうね、あほかとばかかと。

ニュースで話題となっている世界史については、一人ものすごく詳しいプリントを作るスーパー教師*2がいて、授業が面白く(ただし進みは速い)、世界史で受験しない人までプリントをコピーして持っていた。もうかなり忘れちゃったけど、ヘンリー8世の離婚問題では受験に絶対出ない妻の名前まで列挙して全て説明するし、文化史はそれだけで美術史の勉強になるんじゃ?というくらい受験には無駄なことまでやった。世界史が苦手な人には大変な苦痛だったと思う。

行事も多く、授業をやる時間を惜しんで文化祭や体育祭や合唱コンクールの準備をし、陸上競技会やら球技大会やら他校との交流戦やらがあった。体育祭は普通受験を考えて5〜6月にやるものらしいけど、なぜか9月。よって夏休みは準備に充てられる。夏休みがあけたら今度は競技とダンスの練習が朝と放課後がっつり。ただ、全員が全員こんな高校生活だった訳ではなく、冷めている生徒も結構いた。その辺も込みでなんでもかんでも生徒任せだったな。やりたい人はやる、やらない人はやらない。

そんなこんなで「大学に受かる」という観点からは全くもって遠ざかっている我が母校だけど、まあそれなりに進学実績があったり、浪人した人も「3年間あれだけ遊んだんだから勉強しなきゃ」という感じで浪人生活に入るのでそこそこ頑張ってたりする。一時期よりは大学合格者数が騒がれることはなくなってしまったけど、それでもなんとか踏ん張ってるのは、(1)と(2)が揃っていたからできたのかなー。

揃ってないところはじゃあどうするんだ、と言われてしまうとぐうの音も出ないけど、その辺はもう自分で何とかするしかないのではないかと。進研ゼミとかZ会とか。受験直前に世界史やら何やら関係ない科目をやらなきゃいけないのは感情的にはかわいそうだと思うけど、単位を気にしなきゃいけないのは大学に入っても変わらないしなぁ。せめて発覚が夏前だったらよかったのに、と思った。

……あれ、そもそもなんで明るみに出たんだっけ。

(追記)
ちょっと高校名などでぐぐってみたら、したらば掲示板の4年前のスレが見つかり、先生方が受験指導をしないことに不満を持っている人が結構いることがわかりました。そんな期待をしている人がいることの方が驚きだったんだけど、時代が変わったのかなー。何もしてくれないのなんて当たり前だったのに(質問に行けばちゃんと答えてくれますよ、もちろん)。それが正しいかというとまた別問題ですが、先生「だけ」を信じて生きていると痛い目をみそうな気がするなぁ。

*1:このあたりで学校名がわかる人にはわかる。わかってもそっとしといてください。まあ10年以上前のことなので大丈夫だと思うけど。

*2:生徒ほぼ全員の社会科・理科の選択科目を覚えていた。ある意味変人?