はてな吹奏楽の思い出出し

高校のコンクール編。高校は中学時代とは打って変わって大所帯で、毎年A編成で出場していた。が、3年生は6月の文化祭で引退することになっていて、メンバーは1、2年生主体(3年生で出る人もいるけど)。1年の時はほぼ初心者状態で出なかったので、私が出たのは2年次のみ。
1992年(平成4年)
課題曲:吹奏楽のためのフューチュリズム/阿部勇一
自由曲:シンフォニア・フェスティーヴァ/A.ラニング
フューチュリズム、私は大好きだったんだけど、全国大会ではこの課題曲を選んでる学校・団体は1つしかなかった。シンフォニア・フェスティーヴァは確か強豪校の明徳義塾高校高知東生がいたところ、野球でも有名)がやってたので候補になったんじゃなかったかと。ばさばさカットしてたけど。あんまりコンクール用カットって好きじゃなかったなそういえば。
うちの学校は伝統的に学生指揮者でやってて*1、コンクールをプロの先生に任せるかどうかでめっちゃくちゃ揉めてた時期で、結局学生指揮者でのった。*2結果は地区大会で銀賞。次の代はプロの先生が振って、県大会出場。伝統を取るか結果を取るか、コンクールを第一に考えるか年間を通しての活動を考えるか、何度も何度も話し合いをした覚えがある。この後、毎年コンクールではプロの先生が振って、県大会出場の常連校になったんだっけね(今は知らないが)。
あとでもう少し書こうっと。楽しい。

*1:と書くと、実は一部地域ではばればれかもしんない。

*2:「のる」って言い方そういえばしてたなー。「舞台に乗る」ってことだけど、漢字にすると何か変なのでかなで。