日記

西原理恵子さんのお嬢さんの話題。

平成のラスト4年、「親子」という関係のことを、私の意思に反して考え続け、もやもやしたまま終わったことを、割と最近親に共有して形としてはけりがついた、という出来事があった。詳しく書くと論文みたいな量になるので(その前にプライベートの話でもあるので)書けないんだけど、親子ってほんとなんなんだろな……と思い返すことが今でもある。

(時制がめちゃくちゃに見えますが、嘘をついてない範囲で親戚バレを防ぐためで意図通りです)

親子というか、親戚とは何か、血縁とは、そしてきょうだいとは、みたいなことも混ざっているので、どちらかの言い分だけ見ても、関係者全員の言い分をそろえても、何もわからないのも知っている。常に藪の中だ。

なのに冒頭のお嬢さんの話とつい重ね合わせてしまう(構図は全く似ていないし、親戚含む関係性も違います)。親子って面倒な割にどの人間にも良かれ悪しかれ(天涯孤独だとしても)存在する関係性なので切っても切れなくてしんどいっすね。

今その辺の出来事が全部含まれている戸籍の全部事項証明(謄本)と戸籍の附表を引っ張り出して、なんとなく眺めている。もちろん全部事項証明なので全部載っている。単なるデータでしかないのに、眺めていると感慨深いもので、やっぱり戸籍ってすごいな、くそ面倒な仕組みだけど、と思わざるを得ない。

閑話休題。お嬢さんのお母さんについては、昔よく本を買って読み、新聞連載の内容がおかしくなっていった頃をリアルタイムで見ているので、いまさら何かしら思うというのはあんまりない。お嬢さんについてはとにかくなんらかの形で幸せな状況になってほしいなと思う。親のことは変えられなくても自分の状況については(流れるままだとしても)変化したりさせたりできるから。何か応援できることがあるとしたら、もうブログでもTwitterでも触れないことなんだろうな。もう触れません。

なんだか1日頭を離れなくて困った。