漠とした不安の理由

もくもくと寝る支度をしていたらふと思いついて、忘れないうちにWeb上に書いとくことにした。

若い頃(もうこの言葉を普通に使えるようになってしまった)は日々あれこれと自分というものについて思い悩み、ぐだぐだ考え事をしていたけど、近年はその頻度も深度も弱まり「年を取るのは悪くない」と思えるようになった。が、明瞭な理由のない、「将来に対する唯ぼんやりした不安」はあんまり薄らいでおらず、うすーいカーテンがちょっと風が吹くことで揺らぐ、とかたとえたらちょうどうまいこと言えてるな、という感じで存在する。生来からそういう性格なのであろうと思ってきたし、まあ実際そうなんだけど、ふとその理由が見えた。私は両親(と妹)と夫が全員この世を去らない限り、心からほっとする瞬間が訪れないのだ。たぶん。法的に扶養義務が発生する人々が物理的にいなくなって初めて(親等でいえばもっと多いけど、いったんは)自分だけの人生になり得るのだと思う。戸籍法に基づけば、夫以外の肉親と「縁を切る」ことはできない。もちろん何らかの形で無視をする、遠い場所に行く、連絡を断つことはできるけど、戸籍の附表が存在する限り、いつ何時居場所を突き止められるか私には予測がつかないのだ。そして私はそこまで全員と直ちに縁を切りたいわけではない。それは肉親への情というよりも、単純に義務感によるもので、私はそれを別の感情でごまかそうとしている。自分に対して自分が嘘をついていることを自覚しながらそこから目を逸らしているんだから、そりゃ疲れるし漠とした不安だって発生するわな。少なくとも上記についてはなぜか今のこのタイミングで自覚できたのだから、あとはこつこつ対処法を考えればよい。これまで婚姻制度について調べ、戸籍について調べ、墓や祭祀について調べてきたのと同様に。