「かわいい」って言われたくなかった

久しぶりにWebの話題に絡んでみる。リアルで私を知っている人が読むと当惑しそうな話なのでなんとなく目立たなさそうなダイアリーに書きます。あと30代後半になってこういうことを考えたという記録でもあります。

普通の子が病むのを日常的に見ていると、女性は「かわいい・かわいくない」ゲームから1度降りほうがいいと思う。そのほうが生きやすい。たまに聞く「30代、40代になったら楽になった」は、見た目で及第点を得ないと不快な思いをする所から降りた故の楽さという気がする。見た目への執着をいきなり手放すのは難しいけど、他人からの評価や欲望されることはいったん忘れて、自分の欲望だけを大事にし続けていると諸々初期化される。少し肩の力も抜けるし。

女の子を1度「かわいい・かわいくない」から降ろせ

「かわいい」「かわいくない」論争(?)に関しては、30代になったら楽になった、は本当にその通りだった。自分の中での要因はいくつかあって、「30代だから『かわいくない』という評価に定まっても当然といえば当然である」「結婚したので外野の意見が関係なくなった」「自分自身が(20代の頃に比べれば)安定した」など、外から見れば同じじゃね?と思われるかもしれない感じ。でも私の中ではそれぞれ明確に違う。

20代はやっぱり苦しかった。学生時代の周囲の華やかな雰囲気(うらやむことはないほど異質なものと思ってはいても、圧迫感が)、社会人になったらなったでOLっぽい服に身を包む女性(とはいってもまあまあ地味な方に位置付けられるwithとかMOREとかの感じです……)、勝手につらくなって勝手に気落ちする毎日だった。というよりデフォルトが気落ちだった。一番つらかったのは六本木に通勤していたときでしたかね。

私が、それでも恵まれていたのは、最初に入った会社でやった業務が、よくも悪くも男女の区別が(比較的)ないタイプのものだったということだ。説明が難しいのだけど、見た目で「かわいい・かわいくない」の判断をする人もしない人もどちらもいて(だいたいどこでもそうだと思う)、かわいい人にひいきするようなタイプの人でも、仕事に関してはまったく評価軸が別だった。仕事があんまりできないタイプのかわいい子に声をかけて飲みに行く男性が、そのかわいい子と仕事で当たることになるとぐちをこぼすとか。社内政治的にいろいろというのはまた別として。

外見で表舞台に立つ方ではないことを自覚していたので仕事はがんばろう、みたいな気持ちで過ごしていたら、世の中というのは不思議なもので、そういう自分を気に入ってくれる先輩や上司がいた(ひいきされたりはしない)。もし最初の会社で、外見と仕事を結びつけて評価される経験をしていたら、きっと20代も30代もずっとつらかったと思う。20代は「かわいい・かわいくない」ゲームから降りられなかったけど、少なくともそうじゃないところで評価してくれる人がいた、というのは大変ありがたかった。

別にこうしたらいいのでは、みたいなことは全くないというか、むしろ今でも女性誌の特集を見て気落ちすることがあったりするけど、個人の日記レベルではこんな感じだった。