作詞家の岩谷時子さん死去

大ヒットメーカーなだけあって、岩谷時子さんの作詞・訳詞した曲で思い出に残るものを挙げようとするとまったくきりがないですね。ザ・ピーナッツ恋のバカンス」、ピンキーとキラーズ恋の季節」あたりは小さい頃から大好きでした(ハモる曲が好き)。加山雄三さんの「旅人よ」「蒼い星くず」もこれまた小さい頃からすごくすごく好きだったのですが岩谷時子さんの作詞だったのかー……。

岩谷時子さんといえばお約束のように越路吹雪さんが思い出されて、私にとって越路吹雪さんといえば「ミュージックフェア」だったのですが、今ぱっと調べたら越路吹雪さんがミュージックフェアの司会をやっていたのは1964年でした。いくらなんでも私生まれてない。たぶん長門裕之さん・南田洋子さん時代に出演した記憶があるか、スペシャルで振り返ったときの記憶があるかなんだと思います。亡くなったのが1980年で私は当時5歳なんですが、ワイドショーなどでものすごく取り上げられていたのははっきり覚えてます。

越路吹雪さんの代表曲(岩谷時子さん訳詞)「サン・トワ・マミー」は、私にとってはドラマ「やっぱり猫が好き」のエンディングテーマだったRCサクセションのカバーの方が印象が強く、忌野清志郎さんのノリと伴奏を元気に歌っていたら母親から「越路吹雪さんのしっとりした歌が好きなのに……」と嘆かれた思い出。まあそうですよね(でもRCサクセションのもいいよ!)。

「ラストダンスは私に」は越路吹雪さんバージョンをちゃんと記憶していた(たぶんリアルタイムではなく没後の歌番組で)のですが、朝ドラ「てるてる家族」で使われてさらに印象強い曲となりました。岩田家の4姉妹*1のおばあちゃん(藤村志保さん)が亡くなるときに、確か亡くなるシーンを直接出さず、先に亡くなっていた旦那さん(岸谷五朗さんが4姉妹の父と2役)と「ラストダンスは私に」を歌いながら踊るところで終わらせる、という話で。悲しさはそんなに出さずに陽気で明るく元気に、でももう去っていってしまう、というのがとてもよくわかるダンスシーンで、全然泣けるような感じじゃなかったのにすごく泣いてしまいました。

その後本田美奈子.さんの闘病時に同じ病院に入院していたという話、その際のやりとり等で岩谷時子さんの話題を見て、ご高齢だと思ってたらお元気だ!と驚いたりもしました。小さい頃から親しんだ音楽を作っている方が亡くなられると、思い出を書いて残しておきたくなるものですねぇ。

*1:本来は主人公のと書くべきでしょうが石原さとみ以外の3人も主役扱いだしそもそも母親の浅野ゆう子に焦点があたってるし……