私家版・感傷と追憶の湘南モノレール紀行

2009-07-26
9月21日〜23日まで、久しぶりに鎌倉の実家に帰省していました。その際、どうしてもやりたかったのが、上記エントリーに全面的にインスパイヤされた記事を書くため、写真を撮ること。生まれて初めて湘南モノレールの一日乗車券を買い、すべての駅(といっても8つ)で乗り降りしてきました。全部の駅を利用したことはあるものの、1日で全部降りたのは初めて。途中で投げ出したくなったなぁさすがに。

とはいえ、湘南江の島から大船までたどり着いた時は、なんだかよくわからない達成感に包まれました。

はじめに

 私は物心ついたときより湘南モノレール沿線にあって、私の人生は湘南モノレールとともにあった。二十年以上の長きにわたって、私と湘南モノレールは近しかった。

同じく30年湘南モノレールとともに過ごしたものとして、このエントリーはなんとしても書き通さなければならない。がしかし、たった一駅分の写真を整理するだけで結構な時間を要した。今夜は湘南モノレールの終着駅(同時に始発駅でもあるが私にとっては終着駅としか言えない)である「湘南江の島駅」のみ書き上げることにしようかと思う。残り7駅は追記予定。

湘南江の島駅


「湘南」「江の島」と観光ガイドによく使われる言葉が2つ並ぶにもかかわらず、あら不思議、くっつけると大変田舎度が増す言葉。なぜならまったく江ノ島には面しておらず、江ノ島へ続く「洲鼻通り*1」を通らないと海にすら到達しない場所にあるから。それでも夏になれば浮き輪やカラフルなビニール製の袋を持った家族でひしめく。洲鼻通りに入るあたりに江ノ電江ノ島駅がある。

湘南モノレール」であり「湘南江の島」であるはずがなぜ江ノ島に近くないかというと、Wikipediaにもあった通り、地権者などが「モノレールに上を通られては商売にならない」と猛反対したからだという。しかし、結局モノレールが江ノ島に到達しないことによって、洲鼻通りは昭和の香り漂う、大変半端な場所となってしまった。


建物の入り口。多少きれいになったりテナントが変わったりしても、おおまかな雰囲気は30年前と全く変わらない。なんとも不思議な入り口である。


入り口から江ノ島、正確に言えば洲鼻通り方面を撮影。シルバーウィークと晴天が重なり、意外と混み合っていた。県道と交わる角にある干物屋さんも全く変わらない。入ったことがあるのかどうかは記憶にない。


県道の右手方向に、横浜銀行片瀬支店がある。私が生まれて初めて口座を開いたところで、よく原付で通ったものだ。その口座は旧姓のままひっそりと残してある。この県道をまっすぐ進むと、JR藤沢駅方面へ。


だいぶ明るくなって電光掲示板も設置されたが、昔はとても暗くて、階段を降りる「カン、カン」という音がやたらと響く場所だった。モノレールの改札に向かうには、1階〜2階は必ず階段を使わなければならない。


2階にある進学塾。幼馴染がモノレールを使って通っていたのを覚えている。なんでこの場所に?と思ったのも覚えている。2階から改札階(4階)まではエスカレーターがあり、ぼったくりではないかと激しく疑問を持たれているあの「江ノ島エスカー」を髣髴とさせる長さと急さを備えている。写真は撮ったけど微妙に焦って変な写真になってしまったので割愛。小さな改札を抜けるとさらに階段があり、そこを上がってやっとホームにたどり着くことができる。


ホームの端から、お隣の駅・目白山下駅へと続くトンネルを撮影。眼下には京急の有料道路が……と思ったが、そういえば久しく料金所を見ていない、とWikipediaを見てみたところ、とっくに有料道路ではなくなっていた。


ガランゴロンと音がして、モノレールが突如トンネルから姿を現す。この唐突さはなんとなく未だに慣れない。暗闇からぬっと現れるように見えるのだ。


そしてゆっくり停車。確か多少改装されたものの、昔の暗くてちょっと怖い、行き止まりとなっている駅舎の息苦しさの記憶の方が強い。

家族で海まで行く際の交通手段は、徒歩か、バスか、モノレールだった。その中で一番わくわくして、一番不気味さがあったのがモノレールだった。とにかく「暗い」という印象しか残っていないのだ。楽しいはずの乗り物なのになぜか息苦しさを覚えるのは、幼少期の自分の心境や環境のイメージを勝手に投影しているのかもしれない。

次は目白山下駅。このペースだと終わるのいつになるんだろう。

*1:Wikipediaによれば「州鼻(すぱな)通り」とあるけど、確か洲だったはず……改称したのか?