必ず最後に愛は勝つ

finalventの日記(http://d.hatena.ne.jp/./finalvent/20061120/1163985503*1より。

私は、曽我ひとみさんが再会した夫のジェンキンズさんと抱き合う光景(映像)が忘れられない。あのとき、彼女が金正日に勝ったのだと思った。奪回というストーリーからすればそれは初戦ではあっただろうが、私はそのすべての勝利を確信した。ここで言うのは宗教臭くていけないのだが、イエスが私は世に勝ったのだという意味合いのようななにかを感じた。

 曽我ひとみさんは運命に翻弄されなければ普通の市井の小太りなおばちゃんだっただろう。そしてそれはひっそりと幸福であっただろう。誰がそのおばちゃんに一国家の独裁者の偉大さに上回る力を秘めているなどと気が付いただろうか。しかし、彼女にはそれがあった。

 私は愛というものがそれほど抽象的なものだとは思わない。また、その多くが市井に語られることなく潜むのだということも知っている。そして、にも関わらず天地が割れるようにその偉大な光景を見ることについて、この世には奇跡というものがあるのかもしれないと思う。

私もあの映像は忘れられません。国とか、国家犯罪であるとか、そういうすべてのバックグラウンドを蹴散らして勝利(この言葉がすごく適切であると思いました)した瞬間だったと感じました。
拉致被害者の5人が一番最初にタラップを降りてきた瞬間も、その時に横断幕を持って出迎えた家族たちの映像も、再会の様子を一生懸命撮影していた横田滋さんの様子も忘れられない。あの日にすべての拉致被害者を迎えることはできなかったけど、それでもあの瞬間、あの場に居合わせた方々は何かに勝利していました。
KANの「愛は勝つ」という歌は実はあまり好きではないのだけれど(歌詞が安直過ぎて)、あの歌は時には正しいのだと、折に触れ思います。

*1:一部への言及なのでトラバ切ります。