MajyokkoRoyRoyの日記(id:MajyokkoRoyRoy:20040730#1091180654)より、クラのリード話。
クラな私はビュッフェクランポンにバンドレンの3の組み合わせでした。
でも体育祭などで炎天下の中演奏しなくちゃいけないときは楽に音を出したいときは2 1/2を使っていました。(笑)
私はヤマハの、当時下から数えて3番目に安い楽器*1+バンドレンの3 1/2でした。2 1/2はそういう時に使えばいいのか! 目から鱗! 確かに体力使う時に厚めのリードは辛い……。
私は削る紙じゃなくて削る棒(長さ3センチくらい、直径5ミリくらい)で削っていました。普通にヤスリって言ってましたが、あれなんていうのでしょう。
ぼ、ぼう?(汗) そういうのがあったんですね〜。棒がどんなものかと思って検索したら、「リードを削る」なんてページを発見。何にも知らずに削ってたことが判明。よかった、削るの止めて……。
353さん(id:ZO353:20040729#1091100874)の連合音楽会の話。
うちは東京の町田なんですが、市民ホールで毎年コンクールのちょっと前にやってました。
まあ言うなればコンクールのリハーサル的なものなんでしょうか。
わ、そんな時期にそんな楽しそうなことを! ハブられてたんだろうかうちの高校。それとも藤沢市にそういう会がなかったのかな。謎です。時間あったら調べようっと。
高校野球出るような高校じゃない(通信なんです)ので、応援しにいけないのがすごく悔しい。そもそも吹奏楽部ないし。
屋外でスネア叩きまくりたいな、と思ったり。さりげなく夢です、野球応援は。
女子高でも、高校野球の応援そのものがなかったりしますよね。野球応援できる状況って実は貴重なんでしょうか……。屋外のスネア、格好いいですね! 屋外ではPerc.主役ですもんね。
略しまくりましたねー。どっちかというと横文字の曲をより多く略してました、うちの学校は。
コパカバーナはコパカ、エル・クンバンチェロはエルクン、といったように。
引用しまくりですみません。そういえば横文字もありました、エル・カミーノ・レアルを「エルカミ」、王道だけどロメオとジュリエットを「ロミジュリ」*2。他にもあったのに思い出せないのが悔しい。
1000万人都市の片隅から(id:cana:20040730#p2)より、移動ドの話。
話を吹奏楽に戻すと,あきひろ氏が書いている通り,楽器によってドの音が違う。多くの金管楽器はB,サックスだとアルトがEsでテナーがB,バリトンもB? クラリネットはBクラ(一般的なやつだ)がBでEsクラはEs……まんまやん。で,フルートはCだったので,わたしは何の混乱もなく普通にドレミファソラシド使いで生きてきたわけですが。
楽器によってドの音が違う、というのを私は高校の部活に入って初めて知りまして。よくまあ音楽をやろうと思ったもんです。だからB♭クラオンリーで生きてる私はin Cの譜面は全くと言っていいほど演奏することができませんでした。できる人はトランペットだろうがホルンだろうが吹けちゃうのに。紹介されている堕落の記録(7/31)の記述を読んで、久しぶりにこの頭の混乱を思い出しました。
id:cana:20040730#p3より、野球応援の話。
冷凍庫で氷らせたお茶,ハンドタオル,日焼け止めクリーム,帽子あたりが必須。補習を1時間目の終わりで抜けて,楽器持って電車に乗って球場へ。守備の回になるたびに日焼け止めを塗り直しても日焼けは防げなくて,家に帰ったら日焼けあと用の化粧水だのきゅうりのすりおろしだので冷やしたけれど,今の肌にシミが多いのは絶対絶対野球部の応援のせいだ(3回×2年だけだから被害妄想だが)。
あああー、本当に青春の1ページだ! 野球部員と吹奏楽部員と新聞部員の一部は授業を抜けていけるのでうらやましがられた。路線バスに楽器と人員積み込んで球場に行って、日差しが強い中応援してまたバスで帰ってくる。当初紫外線に無頓着だった私は、母親にこっぴどく怒られてしぶしぶ日焼け止めを塗ったものです*3。今となっては大後悔。私の顔のシミもきっと野球応援のせいです(被害妄想)。
わたしの母校もプラ管のクラリネットは1つあったかどうかで,結局みんな木管を持ち出しておりましたよ。ハンカチかけてたなぁ。リガチャだったかバレルだったかまでは知りませんが。オーボエ(自前楽器)の人は指揮してたかな。
オーボエの人はパーカッションのお手伝いしてました。トライアングルとか笛とか。音の質はそんなに問われないので、たまにシンバルやバスドラもやってたりして。