星野さん

文中で登場する「星野さん」は、小学生の時までのかかりつけ病院でした。おじいさん先生(たぶん本当はもっと若かったと思うのだけど、祖父がいなかった私には「おじいさん」としか認識できなかった)が小児科をやっていらして、有名だったのかどうなのかよくわからないけど、子供がたくさん来てました。小さい頃よく高熱を出したり寝込んだりしていた私は、だるさと吐き気をこらえながらよく待合室でぼーっと、皮膚疾患の写真を眺めていたものです。置いてある「うさこちゃんミッフィー)」の絵本と、蛇のぬいぐるみが好きでした。

私が甘ったるい水薬を飲めない・粉薬をオブラートに包んで飲むのが苦手なことを知っていてくれた先生は、なるべく錠剤を、どうしてもだめな時は粉薬を処方してくれて(と母親が言っていたけど本当はどうなんだろう)、粉薬の苦くない飲み方を教えてくれました。だから小さい時から薬飲むのは上手かった。水薬は何度口にしても飲み込めずに吐き出してしまうので、本当は水薬がよかったと思われる場面でも「○○ちゃんは苦手だからねぇ」と別のものにしてくれた記憶があります。

本当に優しくて大好きで、小学校4年くらいの頃に「中学生になってもここに来ていいか」と思い切って尋ねたことがあります。先生は「具合が悪かったらいつきても大丈夫」と言ってくれました。小学校の高学年くらいからだんだん身体が丈夫になってきた私は、それ以降あまり「星野さん」に行かなくなりました。

幼稚園の通園路にあった「星野さん」は、文教堂に行く時と、龍口明神社に行く時くらいしか目にしなくなりました。いつの頃か、表に出ていた病院の看板がなくなっていることに気づきました。あの先生が亡くなった後、病院を店じまいしたことは、それから何年か後に知りました。近所ではあったけど自治会が違っていたので、亡くなったことを知らずに過ごしてしまったのでした。

近所に柔道の山下泰裕選手の奥様の実家があって、結婚が決まった時に「○○○ちゃんもよく来たんだよね」と言っていたのを、たった今不意に思い出しました。本当に近所の子供たちは先生が大好きだったと思います。血液型を調べに、一人で初めて500円持って(いくらか忘れた)いった時も、丁寧にA型であることを調べて教えてくれました。

「柏木さん」はご老人の溜まり場のようになっていて、あんまり親切じゃなくて好きじゃなかった。「谷野さん」はお子さんとその奥さんが一緒に手伝っているようで、前よりちょっと大きくなりました。他にも「○○さん」と呼ばれていた病院がいっぱいあったな。

小動岬の方に住んでいる幼稚園の友達がいて、1回みんなで遊びに行ったことがありました。後から知ったけどそのあたりの地主さんのお孫さんだったようでした。あの辺は特定の名字がそのまま地主であることを指すので、大きくなってからびっくりした覚えが。もうだいぶ忘れてしまったけど。