自分の人生 その2

なるかみさんから「語って!」とスターでお願いされたので、「自分は絶対に結婚しない」→「まあ結婚してもいいか」に方向転換するところが一番乗り越えなきゃいけない壁だった、ってところを主に掘り下げてみるテスト。本当にテスト。その1はこちら→id:toya:20080331:p1

  • 両親の不仲を見て幼少期→思春期→就職、と来たのでそもそも「結婚というのは不幸せなもの」という強烈な刷り込みがなされる
  • 母親が「女の子でもちゃんと手に職をつけて自分で稼げるようになってね」という趣旨の教育を行う
    • 後に「結婚もいいものよ、って言うべきだったかしら」と反省
    • 旦那からプロポーズを受けた時、旦那の実家に挨拶に行った時の報告で泣いてたので本当に反省してたのかもしれない
  • 母親が自らの体験から「体育なんてできなくてもいい、人は勉強ができるかどうかだけで判断するものだ」という趣旨の教育を行う
    • 小学校の時は体育できなくて辛かったけどこれは実際当たってるなーと思った
  • 両親がほとんど口をきかない家庭内離婚状態だったので、男性と長いこと暮らしていったい何を話せばいいんだ?と真面目に悩む
  • 外見からして「モテ」には属さなかったので、男性嫌悪というよりは「お付き合いというもののチャンスがないんだろうな」と静かに悟る
  • でもそれなりに恋をしたりとかしなかったりとか
  • 高校生の時は好きになった男子がお金持ちだった(たぶん)ので「どうせうまくいってもこの人とは結婚しないんだろうな」と変に冷静になる
  • 「結婚というのは釣り合った外見で釣り合った経済状態の2人がするもの」という変な上書きが行われる
  • 大学の時にお金持ちをたくさん見たので「同じ大学の中では結婚することは絶対にないな」と直感的に思う
  • 大学時代にいとこが2人結婚したが、2組ともいろいろな事情を抱えての結婚で、さらに今現在に至るまでいろいろと大変そう
    • これをきっかけに試しに親戚関係の婚姻関係について考えてみる。父方の祖父母はある意味DV(昔の田舎の結婚には多いかも)で、自分の借金を嫁に働かせて返し、生まれた子供たちは曾祖母が面倒を見ていて、曾祖母が絶対だったので祖母にとっては不幸せな結婚。母方の祖父母は死ぬまで仲はよかったが再婚同士。おじおばの中には離婚するわ夫が失踪するわシングルマザーだわな人がごろごろ。いとこも大変そう(一応幸せではある)。これは結婚してもうまくいかない星のもとに生まれたのでは?と真剣に考える。実は今でもそう思ってる
  • 就職。一番最初の会社にはいろいろなライフスタイルの女性(と男性)がいて、あえて子供を持たない夫婦が多かったりとか、出会う機会がなくて独身男性が多かったりとか、その中に普通に「これは女性に敬遠されるだろ……」という人がいたりとか、まあとにかくたくさんの男女の生き方に触れ、それまで頑なだった頭の中が次第に柔らかくなる
  • 高校時代からの友人同士が結婚。たぶんこの2人が影響大きかったと思う。感謝してます。引っ越したり子供ができたりしても傍から見ているとあまり変わってないように見える2人の関係性を目の当たりにして、ある意味両親では見られなかった「結婚」のロールモデルを見せてもらっている感じ
  • 現旦那と出会う。まさか結婚するとは思ってなかった。相手の家族構成が父親とそっくりなことで、結局父親と似た男を選ぶことになるのか……とちょっとだけ絶望する
  • つきあい始めて1年も経たないうちに旦那の実家に泊まることになるという荒行。いろいろ事情はあったのですが。戻ってから熱出して3日間寝込んだ(マジ)
  • 周囲がどんどん社内結婚していくなか、私と旦那だけのほほん。お互いに結婚願望がなかった(実は旦那にはあったが、すぐにという気持ちはなかった)し、きっかけもなかったし
  • 旦那の出身地である大阪に何度か遊びに行くが、実家に泊まるのだけはやめてくれ! 自分ひとりでもホテルに泊まる!という主張が効いてそれ以来実家に泊まったことはなし。大阪に遊びに行くことで異文化にちょっとずつ親しむ
    • というのも結婚してもしなくても旦那はいずれ大阪に戻ることになっていたので、結婚するなら私がついていかねばならないことは決定項目だった。その覚悟を私もしなくてはならなかったし、旦那は旦那で少しずついろいろな説明をしてくれていた。これは助かった
  • 母親に「結婚を前提とするといずれは大阪に行かねばならないのだがよいだろうか」と相談。母親快諾。しかし母親を残して家を離れるのに私の方にすごい抵抗感が
  • 同棲開始。結構な頻度で実家に戻っていたものの、これがある意味親離れ子離れの練習になる
  • この辺で、それまでの自分の信念だと思っていたものは、見方を変えれば「頑なな思い込み」だとなんとなく理解。まあ結婚してだめなら別れればいいしーと真面目に(本当に)考える
  • ネットで出会った方々が次々に結婚していったり、既に結婚していて幸せな家庭生活を送っていたり、というのを見て、そんなに難しいことじゃないのかもしれないなと長年に渡って思えたのも大きい
  • 旦那がプロポーズ(一応あったのですよ)。ここで受けなければきっと別れることになるんだろうなと漠然と2人して思っていた
  • 旦那の実家に挨拶に出向く。義父は両親の離婚の話にも特に何も言わず(私にとっては)おおらかに接してくれるので本当にありがたい。義母は一番最初に実家に行った後に亡くなったけど、天然で面白い方だったので長生きしてほしかったな……と思う
    • こっちの母親とは結婚後に鎌倉で一緒にごはんを食べた
    • 私も旦那も「少なくとも披露宴は勘弁」と価値観が一致していたのはよかった
  • 結婚。婚姻届を出しに行くまでにそれなりにマリッジブルーになる。名字変えるのって本当に本当にめんどくせー!!!!!
    • 今でも夫婦別姓制度を応援しています
    • 自分は制度が先にできてたら別姓にしてたかもしれない
    • でも旦那の名字が珍しく私の名字がありふれているので、まあ1人減っても大して関係ないしいいかなとも思っている
    • ちなみに結婚指輪は未だに買ってません。こうなったら一生なくてもいいんじゃね?と思っているが旦那は一応買いたいらしい
  • 長年つきあっての結婚だったので周りに「きっかけは?」と問われ「私が責任をとって結婚しました」と報告
    • そういう意味合いが私の中では強い
    • あと両親が離婚して、責任を負うべき相手が1人減ったから、というのもある。両手に3人は無理だけど両手に1人ずつならできるかもしれないなと
    • 今では「きっかけは?」→「なんとなく勢いで」になってます
  • 十代の頃ぼんやり心配していた「結婚後何を話せばいいんだろう」は、つきあっている間通りのばかなことから政治問題まで+家のことどうしようねーくらいで収まっている

まだ駆け出しのひよっこなのでこれから問題がいろいろ出てくるんだろうけど、うまくいかなかったら別れればいいもん、と思ってるので結構気分的には楽。ただし「別れればいいや」とか「別れることになるかも」というのは決して口に出してはいけない、それは相手に対する最低限の思いやりだと、同様の環境だった先輩に教わりました。なので一切口にはしてません。これは真面目に守っていくつもりです。

「まあ結婚してもいいか」に至る説明になってるかなぁ。もし何か思い出したら書き足します。