母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き

はてなブックマーク経由で書評を読んで、これは読んでみたいと思いつつ後回しにしていて、今日何気なく本屋さんの棚を眺めてたら平積みになってたのでこれまた何気なく手にとってまえがきを読んだら、クリーンヒットだったので衝動買い。

自分と母親の関係がこの本の内容すれすれのところまでいっていて、幸いにして母親の方が自覚が早かったためにそうひどくはならずに済んだ、という感じ。母親はなるべく束縛しないようにしないようにしてくれていたのに、私の方が責任感と罪悪感にがんじがらめにされていて、私もいろいろあって自覚、お互いにいい関係を続けていくために距離を置いたりした。でも実際の墓守(象徴としてではなくリアルな)はどうすんべ、というのはこれからの悩み所。そしてお互いに罪悪感から逃れきれてないというのも微妙に悩み所。

昔は夫婦別姓大賛成(今では「賛成」レベルに落ち着いた)で、ちらっとそのことをweb日記に書いたら、「家や墓を守るためにも夫婦別姓には反対」みたいな反応が複数返ってきて、じゃあ女きょうだいはどうすんだ女の私じゃ墓も満足に守れんのか*1と結構落ち込んだりもした。そうこうしているうちに守るべき墓に入る対象が分裂しちゃったのでそれはそれでどーすんだ、という状況になったのはオチだったのか何なのか。

自分と母親の関係にぴったり当てはまる訳じゃないけど思い当たる節は多々あるし、ゆっくり読んでいこう。

*1:というか本当にこの辺ってどうやって解消してるんだろ。自民党夫婦別姓反対派で家族云々言ってる人は思いっきり男尊女卑思考じゃねーかどうにかしやがれ墓保障してくれんのか、とか真面目に憤ってたぞ昔は。私は夫婦別姓は賛成だけど墓を守るために賛成してるんじゃない、と考えていたのにお墓の現実って結構厳しかったりする。今はわからないけど昔は女性の名義じゃ墓建てられなくて旦那に頼んだらその後離婚しちゃってさあ大変一生名前が残っちゃった(実話)というのを見ているので世間の壁は厚いことは認識しているんだけどなぁどうすりゃいいんだろうなぁ。