読む少女/夜中にジャムを煮る/クリネタ

読む少女 (角川文庫)

読む少女 (角川文庫)

岸本葉子さんの少女時代を回想したエッセイということで、読んできた・影響を受けた本を紹介していくのかと思いきや、自分の少女時代〜大人になるまでの生活を振り返る自叙伝に近いです。その中にちらちらと本が出てくる。本との「つかず離れずの関係」を綴っています。実は岸本さんは幼少期を鎌倉で過ごし、さらに私と高校が同じ、ということがあって、高校の回想があったら嬉しいな……とちょっと期待していたのですが、高校時代はわずか7ページ。しかも高校での出来事はほとんどなし。その時期に感じた数学や倫理や哲学のことに触れているだけ。高校時代にここまで考えるか!と、やっぱりすごい人はすごいなぁなんて感心してしまいました。私部活やって友達と遊んで楽しく過ごしただけだったよ……。まあ岸本さんが在籍した時期と私が在籍した時期、さらに言えば現状の母校の様子はそれぞれ全く異なるとは思うんですけどねー。残念。

感銘を受けた部分があったので引用しておきます。
(追記)引用部分の前の部分を書き足しました。そのほうがわかりやすいかと思いましたので。引用の範囲にとどまっている……はず。

が、こうして今、耐えがたいという感情をしばし離れ、全体的な構造を静かな心で眺めてみると、私にとってのほんとうのテーマは、そんなところにはない気がしてくる。
この「今」も、線の上のひとつの点だ。どれほど、自分にとって差し迫った問題を含んでいても、時間上の点とすれば、「今」はやはり相対的なものにすぎない。
父、母、姉、私の人生の線も、やがては離れ離れになる。
家族はひとつだが、人はひとりだ。始点も終点も、ひとりひとり違う。どんなにたくさんの思い出を共有していても、私たちは同じ線を辿り続けることはできない。
父が父の歴史を重ねてきたように、私は私で、自分の人生を生きていかなければならないのだ。
今は家族の関係が、私の中心をなす問題だが、その先はその先で、違う問題があるだろう。
ときどきの問題にあたり、私がどのように考え、何を自分の中に積み重ねていけるか。
それこそが、私にとってほんとうのテーマのはずだ。
本によっては、よく、
「思春期の家族との関係が、私の性格を暗くし、その後の生き方を決定付けた」
みたいなことが書いてある。それはとりもなおさず、思春期以後の精神の営みを、放棄したことに他ならない。人生のどこか一点の「あのとき」を絶対化し、そこから動こうとしないことである。

これまでの私なら、何かを思いついても、
(お金がない)
で終わらせていた。時間と金のある人だけに許されること、自分にはできない、と。
が、少なくとも勤め人としてごくふつうの給料を得ている今、お金が理由には、もうならない。
そしてもうひとつの時間については、誰だってあり余ってなどいるはずがなく、それを理由にしている限りは、いつまでも何もはじめないのと同じだ。

夜中にジャムを煮る

夜中にジャムを煮る

料理コーナーで見つけたエッセイ。冒頭を立ち読みして、

大学生になって親元を離れて暮らしはじめたとたん、放り出されたのは暗澹の海だ。

(中略)

どれもこれも幼い時分からなじんだ味なのに、ひとりでつくろうと思えば指のあいだをするりと抜け、どこか遠いところへ去ってしまう。こんなはずではなかった。
(いままでの十八年がないことになってしまう)

の部分がもうまるで今の私のようで、続きを読みたくてお買い上げ。私なんぞ30年近く母親の味でごはんを食べてきたというのに、全く同じものが作れず、今でも各種レシピの本を見なければ献立も作れない。ちゃちゃっと何かを作れるまでにあとどれくらいかかるのかまったくもって暗澹の海です。実際の続きは料理にまつわるエッセイなんですが勉強になります。

「活字で読むデザインマガジン クリネタ」(創刊号)ははまぞうで出てこなかったんですが、「編集会議」の別冊だそうです。「読むデザイン誌」と表紙に書いてあって、軽く楽しく読めそうだと思ったら内容が濃くて読み切ってません。