日記

名実ともに仕事は納まり、さてつかの間の休暇を味わうぞ、と思ったのに、夫は背中が痛むという。

実はここ数週間ずっと言っていて、あまりに治りが遅いので内臓系の放散痛を私は疑い、夫は痛がりながらもぐずぐずそのままという状況が続いており、先週やっと整形外科でひどい肩こりとの診断を受けたのだった。ひとまず心臓にも脳にも(今のところ)関係ないのでほっとしていたが、今日はさらに痛んでかなり弱っている、しかし年末で病院は閉まっている、なんだったら救急車呼ぶけど?と言っても芳しい反応がない、ということで放っておいてはてなブックマークの振り返りなどをしていた。午後になって腕と指の一部がしびれると言い始め、こういう時に病院に行くことに対して腰が重いのはなぜ???と思いつつ近所で受け入れてくれそうな病院を見つけて提示したところ、夫はあまりに痛いからか自分で問い合わせ電話をしていた。急患受け付けしてくれるところがあってよかったよ。

だいたい(ここから愚痴)私が体調面などで多少無理するというか、夫のアドバイスに従わない時に、決まって「俺は言った、あとは知らない」という言葉を発する。私は正直これを言われると心の底から家出したくなるのだが、ことを荒立てる方がコストがかかるので、煮えくり返るはらわたをなだめてうやむやにしておく。私は自分が言われていやなことを相手に返すとついつい倍返しとなってしまうので言わないように気をつける。今回も何度も「知らんで」を言おうか言うまいか迷った。しかし、現実問題として夫に死なれると困るのはこっちなのだ。看病に葬儀、親戚まわりへの連絡、墓の処理、何もかも未解決のまま死なれて対応に困るのはたくさんなので、なんとかある程度の時間を生きていてもらわねばなるまい。私はこのコロナ禍で万が一の急変に見舞われた時のためにエンディングノートを準備しようかと思っているくらいなのにこの温度差はなんだ。健康を過信しているのは私ではなく夫ではないのか。その割に病院に行く時はついてきてほしいという。その手にある板でGoogle マップを使え。

かくして私は特に何もやることがないまま、かつて夫が一度救急で搬送先になったことがある病院までのナビゲートをし、診察の間Twitterを見て、終わったら挨拶をして病院を出る、ということを執り行った。結果は肩の筋肉が急に落ちたことによって、バランスが変わり、痛むようになった(大意)んだそうだ。命に別状はないようなのでその後は私の方は非常に気楽になり、ブックマークの振り返り作業を淡々としていた。

明日は大みそか恒例の大井競馬場行き。寒いだろうなぁ。