自分のことを書くのは難しい

10年以上もはてなダイアリーに書いていて(だいぶ頻度は落ちているものの)、何を今更、という感じではあるのだけど、自分のことを自分のこととして、当事者性を持ちながら書くのが非常に苦手である。かつて書いたものでさえ、当事者である最中に書いたことはあんまりなかった気がする。例えば、何かがつらくてどうしても耐え切れなくて書かざるを得ないことがあったとする。そういう場合多少はこぼれ落ちるものを書くことがあるかもしれない。でもそれは自分にしかわからないように加工を施した上で、念には念を入れて確認して公開ボタンを押す、という感じであって、衝動的に書いたりすることはほぼない、というかないようにしてきた。Twitterなら多少は衝動的かもしれないけど、それだってまあ140字以内だ。打ってるうちに頭が冷える。

こういう訓練を無意識にやってしまっていると、自分のためのメモ、「自分の考えていることを一度書き出してみよう」というあれ、すべてができないというか、苦しい。とりあえずやってみることくらいはするものの、書かれた内容はどうにも欺瞞っぽく、とても書き表すべきことを書いているように思えない。私は自分に対してうそをつくことがとても苦手で、書かれた内容が何かつくろっていたり、ごまかされていたり、“盛っている”感じになっていたりすると、どうにもいたたまれなくなって全て消すとか極端な行動に走ってしまう。うそをつけないというのは決して高潔なことでもなんでもない。それは多かれ少なかれやらなければならないことなのだ。自分の思考をそのままの状態で何かに転写することはできないのだから。

そういうときはドラマ「古畑任三郎」の「笑わない女」メソッドを使う。少なくともうそではない、くらいまでにする。

とはいえテキストエディタなりブログなり、デジタルの文字で削除、コピペが簡単だからこそ可能であって、紙(メモ帳、ノート、手帳など)に文字で書き付けるのは未だに苦手だ。打ち消し線を引こうが、修正テープを貼ろうが、そこに自分が書いた文字のことを自分は覚えている。紙やら何やらに思考を書き出すことでいろいろなメリットがあるのはわかっている。わかっているのだけど、いたたまれなくてそこから逃げ出すことをもう何度繰り返したか。2ヶ月前に買った小さな手帳がもう1ヶ月分くらいブランクになっていて向き合うのがしんどい。