きっと忘れられない

買い物帰りに、パン屋さんの前でゆっくり自転車が倒れて、そこから男性が歩み去ろうとするのを見かけた。その男性を、学校の制服を着た中学生らしき女の子が追いかけていってつかまえた。もう一人、倒れた自転車の横には女性が立っていた。自分を止めにきた女の子に向かって男性は「関係ないだろ、そんな言い方するんだったら」と言い放った。女性は何も言わなかったように見えた。女の子は女性の方に戻ってくる途中、悲鳴のような声を上げながら、だん!だん!と地団駄を踏んで歩いていた。その後その3人がどうしたか知らない。見ないようにして通り過ぎたからだ。

たぶん男性と女性は夫婦で、女の子の両親なのだろう。何かがきっかけで夫婦は言い争いか、あるいはけんかになった。女の子は自分しか両親の仲裁に入る役はいないとわかっていたから、去ろうとする父親を追い、動かない母親のところに戻った。なんで自分がこんなことをしなければならないのか、周囲から集まる視線も気になる、はずかしい、でもやるしかない。叫び声と強く踏み鳴らす足音で、痛いくらいに気持ちがわかった。「痛いくらいに」って今まで安直な比喩だと思ってた。でもものすごくよくわかった。

もし近所の、知り合いの女の子だったら、何気なく声をかけて近くのコーヒーショップにでも連れていっただろう。両親が見知った顔だったら、「何かあったんですか」としれっと声をかけることもできただろう。でもどちらもできなかった。自分にできるのは、あなたたちの存在を認識していません、その声と足音は私の耳には届いていません、というボディランゲージとともにそこからさっさと離れることだけだった。何よりもはずかしい場面を見られるのがいやだっただろうから。

まだ公衆の面前でなければ、せめて家の中の諍いだったら。あるいは女の子がもう少し優しくなくて、言い争いをするみっともない両親のことなんて放っといてしまえるなら。あるいは女の子がもっと暴力的で、反抗的で、両親に対して暴れることで意思表示をできるなら。

きっと一生今日のことを忘れられないあの女の子が、うまく両親から卒業して、うまく大人になることができますように。大人になってから、あんなこともあったと思い出して、なんで未だに忘れられないのか、とほろ苦く思い返しては忘れるように努める、くらいの温度感になればいいなと思っている。