中村勘三郎さん死去

すぐに何か書こうかなと思って書けませんでした。もう当然のごとく早すぎるし、みんな既に言っているけど60代70代の枯れた勘三郎さんを見られないのが損失すぎるし、テレビで元気な時の顔写真が写るとつらい気持ちになります。

勘三郎さんをまともに認識したのは、日テレの「スーパーテレビ情報最前線」(確か)で勘太郎くん(当時)・七之助くんの初舞台「桃太郎」を取り上げたときだったと思っています。その後もよく密着していたのでよく見ました。勘三郎といえば17代目の勘三郎さんだったので、勘三郎襲名のときは感慨深かったのを覚えています。いや、舞台見てないんですけどね。勝手にね。

歌舞伎の楽しみ方に、初舞台を見て、その子が大きくなって、「うまくなったねーあの頃はあの子も〜」みたいな話をする、というのがあるそうです。それだけ息の長いファンが多いのだと思いますが、勘太觔・七之助兄弟の活動と、勘三郎さんの話題は、私にとってはそんな感じの見え方をしていました。

勘九郎さん(襲名してからはもう勘太郎くんとは勝手にでも呼べなくなってしまった)と七之助くんが、勘三郎さんが亡くなった後にインタビューを受けていて、誰かの電話インタビューで「勘三郎さんが父親(先代)が亡くなったあといい役が付かなくなって悔しかったといっていた」といってて、そうか2人も若くして父親を亡くしてしまったのだ、と別の意味でもつらいです。役者としての手本とか後ろ盾とか。がんばっていってほしいなぁ。ちゃんと歌舞伎を見に行く人にならねば。

うーん。残念としか言いようがありません。