とらドラ!は見たことないんですが

人と人とは、だいたいなにかを交換しながら生きているわけですが、俺、こういうことって本能的にできるとは思ってない。学習の結果できることになるようじゃないだろうか。ほら、よく言うじゃないですか。人に好きになられたければまず人を好きになれとか。まあ正論っちゃ正論なんですけども、でも、無茶いうなよって思う。好きになられるという状態、それが快楽であること、それを知らないままで他人にそれ与えろとか、ちょっと理不尽じゃないんですかね、とか。

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/12/03/073522

なんかここで「あー」みたいな気持ちになった。なんかどっかで聞いたようなあれなんだっけと思ったら「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい」のことなのかなぁ(わからなくて適当にぐぐった)。聖書は割と読んでいる方かもしれないですがそんな事細かには覚えてない……。

で、元エントリーではクリスマスプレゼントの話に移っていって、ここでも「あー」と思ったエピソードが2つ。1つは、人にプレゼントするということが昔すごく苦手で、特に友達へのプレゼントがやたらと苦手で、高校時代に何かの拍子に「○○ちゃんにプレゼントあげようかな」みたいなことを言ったら非常にびっくりされた(「そういう風に思えるようになったのすごい」とか言われた)というもの。もう1つは、おごられたりお金を出されたりするのがとにかく苦手で、ひたすら断りまくっていて、全く別のことで「(自分がお金を出してでも)こうしてあげたい」みたいな話をしたら「それと同じ」と論破されたこと。

とらドラ!のエピソードはおろかストーリーさえ全く知らないので(Wikipedia読みに行ったけどよくわからなかった)、たぶんギブとかテイクに関する感度って、学習しないとわからないものなんじゃないのかなぁ、精神的にも物質的にも、と思ったのでした。上記2つのエピソードだいぶ忘れてた。というか忘れてるどころじゃないくらい思い出すことがなかったのに、元エントリー読んで思い出した、という話でした。

(特にオチもなにもないけどダイアリーはオチをつける場所じゃなかった)