9月を迎えて

書きたいことが山のようにあるのに、「文章を書く」作業が全然できなくなってきています。やばい。

9月になって仕事に変化が訪れました。より楽しく前向きに取り組めそうだなーと思っているのですが(そしてそれはもう進み始めているのですが)、「神奈川県出身であることを知らなかった」という会社の人の発言(そりゃそうなんですよ大阪に引っ越してから就職活動したんですから)をきっかけに、仕事の面でちと頭をよぎったことがありました。

前の会社に在職している最中に結婚したので、婚姻届を提出した後も旧姓のまま仕事を続けていました。名刺とかメールアドレスとか変更めんどくさいし、何より私の結婚後の名字は電話で発音しづらいから、日本でも多い方に入る旧姓は何かと楽ちんだったんですね。辞めて、大阪に引っ越して、そこから就職活動を始めると、旧姓を使う理由は全くなくなります(できなくもないだろうけど)。論文書いてたり政治家だったりしたら話はまた別でしょう。きっと。

幸いなことに今の会社はあまり名字は関係ないので、そんなに意識することなく“ちょっとしたコスプレ”感覚で現名字を使っているんですが、今になってはたと思いました。旧姓だった頃の「○○○○」(←名前)に、今の仕事を味わわせてあげたかったなぁと。30年以上自分を培ってきたのは、婚家(古い)の名字じゃなくて前の名字だったのに。ネット環境での「toya」は多く見積もっても10年くらいしか使ってないけど、その時代の多くも「○○○○」のメンタリティでやってきていたのに。その延長線上に今があるのに。

選択制夫婦別姓制度が早くできないかなーと思う一人ではありますが、たぶん制度があっても婚家の名字にしたことでしょう(残念ながら)。それでも、今の名字はやっぱり自分を完全に表すものではないな、と痛感しています。