初めて伊丹空港から飛行機に乗りました。その前の上本町から空港に向かうリムジンバスの中で既にはしゃいでいた私は見るもの全て楽しい!という状態で、窓側ではなかったのて離陸の際のモニター画面をひたすら凝視し、わーい浮き上がった、わーい昇っていくと大喜び(さすがに声に出してるのは思考の3割くらいに抑えています)。大阪は天気がよくて、機体の下を映すモニターには空港周辺の風景が映り、みるみる小さくなっていきました。
その際に二度ほど、自分が乗っている機体の影がはっきり地上に落ちているのを見ることができました。こんなにくっきり見えるものなんだなぁと思ったのもつかの間、それまでやたらとテンションが高かったのに、あっという間になぜか悲しい気持ちになり、そのうちにモニターは景色ではなくプロモーションVTRに切り替わってしまいました。
そんな短時間に気分がころっと変わるのもおかしな話なので(たまにあるけど)、なんでまた、と安定した飛行機の中でぼけっと考えたところ、姫野カオルコ著「ドールハウス」(原題は「空に住む飛行機」)を読んだ時のイメージに近いのを思い出しまして。頭が考えるより早く浮かんできていたようです。
すごく悲しい、でも一応前向きに終わる小説なんですが、その中でミッシェル・ポルナレフの歌詞が引用されていて、それもまた悲しい。今原文にあたれないのが残念ですが、いい詞だと思います。
羽田に着いたら生憎の曇り空でしたが、着陸の前の高度が下がる画面と着陸時の画面でテンションがまた上がって大変だったことを付け加えておきます。飛行機楽しい。車もバスも好きです。乗り物ではしゃぐって子供っぽい…orz