子供が生まれることを喜ぶということ

元エントリの話からだいぶ遠いところに来てしまったので、トラバなしで。当の親本人が子供ができたことを喜ぶということについて、ふと振り返って思うところがあったので書こうかなと(自分にはいませんが)。

20代中頃に友人・知人に子供ができた時と、30代前半の今同様の時で、自分自身の喜び方・祝い方がだいぶ変わってきました。20代前半〜中頃は単にめでたい!としか思っていなかったのですが、この年になると周囲でもいろいろあるもので、子供にまつわるいろんな例を見聞きするんですね。例えば子宮内膜症で子供ができづらかったのが妊娠できたとか、流産しやすい体質で稽留流産を乗り越えて子供ができたとか、子宮後屈のために妊娠しにくいので子供を作らずにいるとか、妊娠したのはいいけど母体に危険が起きるかもしれないからと中絶せざるを得なかったり(これは祖母)、無事に生まれるかと思ったら事故が起きて子供が障害者になってしまったり(これも祖母)。

身内含めて、なかなか話しづらく聞きづらい話なのにちょこちょこそういう話を耳にするということは、他の親になる人にも、実際に口に出していなくてもいろいろな事情があるんだろうなと推測できました。もちろん何事もなく出産できてすくすく子供が育っていくという場合も多いのだと思いますが。

事情があるにせよないにせよ、親になる(子供をつくる・子供ができる)っていろいろ大変なことが多い訳で、そういうのを想像するととにもかくにも労いたいなぁという気持ちが出てきて、祝う+労う=喜ぶ!みたいな図式になってきています。

妊娠から出産に至るまではなかなか容易にはいかないものだと考えると、多少は祝う気持ちになりやすくなるかもな、という話でした。

よく発言小町なんかで見かける「お祝いを強要する人」が周囲にいなかったからこそかもしれませんが。