漠然と

「機械」とか「健全」とか、たぶん政策を担っていく側からしたらそう捉えるのが自然なんだろうなと思うけれど(それにしても機械の例えは迂闊すぎる)、善意に解釈しないと本意が伝わらない(かどうかもわからない)上に、公表したら誤解を招くであろうという推測もできず、個々人の問題が複雑になっていることを全く反映していない表現しかできていない言語感覚が、今の時代にはきっと合わないんだろうなと思った。一昔前ならよかったのかもね。