珍しく自分語りなど。

シロイさんのエントリ(id:white_cake:20060318:1142651057)がとても胸にしみる。

でもまあ、仕方ない。
生きてりゃこういうこともある。
続いている間は楽しかったのだから、それが何よりだよな。
この先の人生にもたぶん、良いことはある。

ここから先は、エントリから連想して私が書くことなので、全然つながりはないんですが。
私の実家はがっちり裕福という訳ではなく、バブル期に多少父親だけ羽振りがよかったりしたものの、つつましい生活を淡々と送ってきました。とはいえ、全体としては不自由のない暮らしをさせてもらったし、不満らしい不満は今も昔も持っていません。何しろ私立大学を出させてもらったし*1。妹も短大を卒業したし。
ただ、なんつーか、卑屈にもなりきれず、上昇欲を持つほどでもない、そういう中途半端な部分が、幼少期〜思春期にかけておのずとすり込まれてしまったような気がします。例えば、私はなぜか勉強だけはそこそこできたので(体育はからっきしだめだったけど)、進学校と言われる高校に進んだのですが、そこにいるのがまあお嬢ちゃんお坊ちゃんばっかり。「5人に4人はピアノを習っている」だったかな、みんながみんなピアノやらバイオリンやらできちゃうので、ぽかーんとした覚えがあります。お嬢ちゃんお坊ちゃんなんて揶揄する言い方になっちゃったけど、みんな育ちがよくて、それぞれ得意なものを持っていて、とてもつきあいやすくて気持ちのいい人たちばかりでした。でも私は「ああ、この人たちと私はなんだか違う」という気持ちをどこかに抱えたまま3年間を過ごしたような気がします。
学費が安いという理由が決め手で選んだ大学は、これまたお嬢ちゃんお坊ちゃんばっかりで、高校の比ではない格差を感じました。今「格差社会」だの「下流社会」だの言ってるけど、そんなの昔からあったんだぞ!と言いたくなります。もうね、やることなすことの基準が違うんですよ。もうぽかーんとしている暇もないくらい。変なところにまぎれこんじゃったなぁ、と思いました。
そういう微妙な違和感をずるずると引きずりながら過ごしていると、変な現象が起こります。好きになる相手に対して、将来というものが見えなくなってきます。高校時代に片思いしていた人がいるのですが、好きだなーという気持ちの隅っこの方に「この人と付き合うことになったとしても釣り合わないんだろうし」という冷静な分析が紛れ込みます。卑屈になるとかじゃなくて、本当にしっかり考えちゃう訳ですよ。で、付き合いたいという願望が湧き起こらない。今思えば、若いんだからもっと見聞を広めて頑張れ!と言いたくなりますが。
今はいい加減大人なので、うまく「世間の常識」っぽく折り合いをつけることができるようになったのですが、結婚の話よりも先に離婚後の経済力のことを語ってしまって周囲にびっくりされたりする時に、あーやっぱりなんか違うかも、という感覚がふとよみがえることがあります。みんな世の中に対してそんなに絶望していないんだなぁ、なんて。

*1:国立に入る頭がなかったので、なるべく学費が安いところを選びました