風景の持つ意味

 その街を通りかかった時、名前が出た時、降り立った時に、必ず浮かぶ記憶やイメージというのが存在すると思う。就職活動の時に嫌というほど通った地下鉄の駅、サークルのみんなで騒ぎまくった飲み屋、合宿で行った湖、なんていうのはほんの一例で、そういう細々とした経験に自分の心情とか状態が絡んで、全体像を作り出してると思うんだけど。

 風景の持つ意味はどんどん上書きされていく。京都は「修学旅行で行った土地」だったのに、その後「友人の住む街」に変わり、今はなぜかわからないけど心のふるさと状態になってしまった。何度も行ったからかな。逆に何度訪れても一番最初のイメージのままだったり、一度しか行ったことがなくても鮮やかに覚えてたりして。

 ある駅のホームに立っていた時、昔と今とのイメージのあまりの違いぶりに愕然としたことがある。駅から見た眺めに被さる記憶も、くっついてくる心情も、何もかもがいきなり変わっていた。それは急激な変化じゃなくて、ごくごく自然にシフトしていった結果なんだけど、その自然さも込みで軽いショックを覚えた。

 それとはまた違う地名をふと耳にした時に、その名前が自分の中でもう意味を失ってしまったこと、そしてもう二度と同じ意味を持ち得ないことがわかってしまった、なんてこともあった。それもまた、ごく自然とそうなってしまったこと。寂しくはあったけど、しょうがないな。また別の何かと重なることもあるのかもしれないし。

 電車の中から見たネオンサインとか、駅へ向かうタクシーの中の暗さとか、飲み会の部屋の入り口のすぐ脇(←これだけ妙に具体的だなー)とか、例え他の思い出がかぶったとしても消さずに残しておきたい要素があることもある。それらはべたな言い方だけど、宝物だから。文字に書き起こしておいても自分の中でしか再生できない記憶だから、どうか、なくなりませんように。