東京から大阪に引っ越して14年、大阪から東京に戻ってきて10年が経とうとしています。
大阪に引っ越した月の日記を読み返してみると(過去だから恥ずかしいとはいえ)割と元気で暮らそうと努力していて微笑ましいなと思います。しかしその年末には極端な運動不足と寒さで腰を痛めるのだ……。
東京に戻ってきた時の日記はこんな感じで、いろいろ大変だったことを割と鮮やかに思い返すことができます。
そう、フェルメール展はなんだか不思議な巡り合わせだったなーという気がしたので書いたのであった。
ちょくちょく公開情報として書いていたのであらためて書くと、私が大阪で最後に住んでいたのは大阪市西成区で、最寄り駅は西成区役所と同じ岸里駅(大阪メトロ)だった。なので、昨今の西成区を巡るさまざまな表現のお話は、腹立たしく思うと同時に、自分の中にある差別意識との戦いでもあった。「一緒くたにまとめるな」と言えば言うほど「一緒にされたくない」という気持ちの裏返しに見えてしまうし、まさに「それはそう」。しかし大阪において地名というのは、たった4年間のにわか大阪市民だった私にとってもはっきりわかるくらい、なかなか扱いが難しいものなのだ。西成区に限らず。梅田(大阪駅周辺のことです)の再開発地域の名前を「うめきた」にした時も同じような話があったことをうっすら覚えているのだが、ぱっと経緯が出てこない。
言葉遊びの域を出ないという側面はある。しかし歴史ある地名の話でもある。本当に難しい。
大阪に文字通り骨を埋める覚悟で引っ越したので、大阪のいろいろな面を見たいと思い、夫に頼んで太子・山王などを散歩したことがある。夫になぜ頼んだのか端的にまとめるのは非常に難しい。しかしやはり、女性一人では歩くのはおすすめできないと思う。結果としては「通りすがる形でも歩けてよかった」だけど、飛田新地のあたりは「女性が歩くこと」そのものが商売の妨害になるケースもあるそうで、本当に本当に難しいのだった。
個人的には西成区に住んだ数ヶ月間、直接的な怖い思いをしたことはなかった。キタにもミナミにもアクセスが簡単で、でかいスーパーがあり(カナート、今のうちの近所に越してきてほしい)、お祭りもあって、地域性とは全く別レイヤーのプライベートなことで大変だった以外は、非常に住みやすくてよい街だった。住吉大社まで散歩したこともあったな。ぐるぐるの橋や渡し船もよかった。いいところは確かにいっぱいあるのだ。
だからこそあんまり簡単にその背景を取り扱ってくれるな、と思うのだけど、ワンダーランドと言われるとなぁ。確かにワンダーだけど。
(追記)過去の記事で割と楽しく書いたものがあったのでメモ。