雑に生きてる

帰ろうとしたら雨が降ってた。朝天気予報を見てから自宅を出てきてるつもりで、その予報は曇りだった気がしたけど、とにかく雨が降ってて、傘はない。しょうがないから駅まで歩くか(走る、という選択肢はない)、と思いつつ建物の外に出ようとしたら若者が傘を持って出たタイミングと重なった。若者に気を遣わせるのは申し訳ないので「予報見てきたけど雨に降られてしまった、こういうときはあきらめるんです」と言ったら、「なんでそこであきらめるんですか、あと一歩頑張りましょうよ」なんて言いながら傘に入れてくれた。若者も濡れてしまうのに、である。恐縮しながら駅まで一緒に歩いた。

途中で若者と別れ、最寄り駅に着くと、やはり雨が降っている。さして強い雨でもないし、傘を買うなど手配しようとするよりは、そのまま自宅に向かった方が早い。普段はIngressのおなじみポータルを巡って帰るけど、スマホはしまってさっさと歩く。傘をさすのが嫌いなわけではないが、なくしたり忘れたり取りちがえたりする可能性に気を配っているととても疲れるし、何より傘を持って出ると一度も開くことなく持って帰ってくるケースが多いのだ。念のための傘と天気にどれだけ裏切られたことか。だったらまあ濡れて帰ってもだいたい同じことである。

幸い多少濡れるくらいで済んだ。そして若者の親切をふと思い返した。4年前にコンビニで切手を貼るための水を快く貸してくれた店員の若者もふと思い出した。2年前に気配を消していた自分をさりげなくフォローしてくれた若者も思い出した。思いがけない親切を受けるとものすごく記憶に残っていて、何かの拍子にひょいと頭の片隅から登場する。みんなやさしいしとても親切で、それに比べて自分はだいぶ雑に生きてきてしまったなぁと思う。そういうことに対して、なんとか敏感でいたいのだけど、どうやったらその雑な網の目が細かくなるのか、いまいちわからない。日々の訓練なんだとしたら時間が足りないし、生来のものだとしたら改善の余地がなさそうで、ケースごとに学習していこうと常に考えるよりほかにないんだろうな、という気がする。