「自然体」とか「等身大の自分」とか

こちらを読んで、すごく共感したのでついついエントリに。反射的に何か書こうと思ったけど、自分の中で消化しきれない感じで、ちょっと寝かせてました。今も消化しきってない。

私は「自然体」とか「等身大の自分」という言葉が凄く嫌いです。
こんな有象無象の中で、自分だけ純真無垢でいるためには、人を傷つけている。

ビートたけしの言葉。
「人間はいつでもダイヤモンドの原石のようにはいられない。傷ついて傷ついてガラスのビー玉のようになる。
いつまでも、ダイヤモンドのようにキレイなままでいたいと思うのは、その一方で傷ついている人がいる事を知らない振る舞いだ。」

前にもちらりと書いたっけな。ロハス(この言葉は消費され尽くした感もある)とか、手作りのものに囲まれてどーのこーのとか、なんかああいうライフスタイルはあんまり好きじゃない。「クウネル」「天然生活」「リンカラン」……などなど、「あの手」の雑誌はデザインもきれいだし写真もいいなぁと思うんだけど、どうも手に取る気になれない。パンやお菓子を作るのがいまいち好きになれないのも、普通に作る分にはすごいなーと思うのにいちいち「手作り」で「天然」で、と強調されている部分に自分も参加しているような気になるからかもしれない。世間ってそんなにきれいでもなければ美しくもないよ?と変に反発したくなる。

元記事は(リンク貼ってないけど)こちらのニュースへの言及なんですが、

渡辺満里奈の妊婦体験記本。出すと思った。

いや、出さないはずないよなー。これからは子育て本か。
そして、ベビー服をプロデュースするんでないの?

うん、なんか反発したくなる気持ちはわかる。なんとなく。ピラティス本を出したあたりから、正直渡辺満里奈があんまり好きじゃなくなった。自分は正しい生活をしている、自分はきちんと生活している、そういう雰囲気が出始めた感じがして。自然体な妊娠生活、自然体な子育て生活、そして自分でプロデュースした食べ物や服や小物、そういう流れになりそうな気が勝手にしている。

自分が正しいと思うことはとても傲慢なことだと気づく陽子(「氷点」*1の主人公)のことをなんとなく連想する。

いや、いわゆる「正しい」「自然体の」生活をしていない僻み妬みから来る思いかもしれないけども。でも、だらけたり、抜け出そうとしてもがいたり、でもまただらけたり、を繰り返す生活というのもまた「正しい」生活なんじゃないかと思ったりもするのです。