適切な記事がなかったのでまた改めて貼ります(たぶん)。→貼りました。
JR西日本のダイヤ改正に伴い引退する寝台特急「なは・あかつき」(京都−熊本・長崎)と寝台急行「銀河」(大阪−東京)が14日、最終運転を行った。
(中略)
この日の切符は、先月の発売開始時に、わずか30秒で完売。切符を手にした約260人の乗客を乗せ、午後10時22分、東京駅までの556・4キロ、約8時間20分のラストランに旅立った。JR大阪駅ではこの夜、約2時間前からカメラやビデオを持った人たちが集まりはじめ、出発直前には会社員や家族連れなど約2000人に。出発時には、ホーム内が大きな拍手の音にに包まれた。神戸から銀河を見送りに来た女性(45)は「まるで大物役者の引退式。夜汽車がなくなることは私たちの世代には寂しいことです」。
「銀河」も「なは」も乗ってみたかったなぁ。寝台特急といえば我が家で使っていたのは上野〜青森間を結ぶ「あけぼの」だけでした。西方面では一度だけ大阪発鹿児島行(すみません列車名忘れました)に乗ったくらいかな?
「あけぼの」は、母方の祖母が倒れた時にとりあえず母・娘2人で飛び乗った思い出に残る列車でした。まだ4歳の私と1歳の妹を連れて、携帯電話もなかった当時父親に全く連絡がつかず、会社への伝言と家への書き置きを残して上野駅に向かった母親は、どんなにか不安だったろうと、当時の母親の年齢を超えた私は今更ながらに思います。
間一髪で車を飛ばして上野駅に見送りに来た父親にゆでたまごとチキン弁当を買ってもらって、窓越しに父親に手を振って列車が出発した時、母親の手前泣くことができず、夜景を見るふりをして涙を拭ってたのを今でも鮮やかに思い出すことができます。4歳だったのに。すごいな私の意味ない記憶力。その後、お隣に乗り合わせた方が1階のベッドを譲ってくださって、家族で1階のベッドを使うことができたのも有難い思い出です。
その6年後、父方の曾祖母が亡くなってまた同じ状況で「あけぼの」に乗る訳ですが、その時も列車での別れはしんどかったなぁ。あと、チキン弁当が1回目も2回目もとにかくまずかったのは覚えています。味覚の記憶ってすごいな。
……「銀河」と関係ない寝台列車の思い出でした。寝台列車、高いし女性が一人で乗るのはやっぱり怖いけど、なくなるのは寂しい。