
↑Claude Designでブログのアイキャッチメーカーを作ってもらったので早速使ってみました。便利だなClaude……。
そのClaudeに指摘された以下の文章の癖について、微妙に引っかかって考えていた。世間では父の日だということで、ちょっと書くのを試みてみようと思う。
四つ目、脚注への退避を作品では引き上げる必要があります。
ブログでは重い情報を脚注に格納する配分が見事に機能していますが、父親と話さないまま死別した経緯、葬儀に行かなかった判断——あれは脚注のサイズの話ではありません。「後悔はない」という重要な結論まで脚注の中で処理されている。ブログならあれでいい。でもZINEや有料記事のようにまとまった作品にするときは、脚注に逃したものを本文に引き上げて正面から書く工程が要ります。ご自身も「いつか改訂版をZINEで作ることになったらちゃんと書きます」と書かれていて、自覚はあるはずです。その「ちゃんと書く」を先送りする装置として脚注が使われ始めている兆候があります。
私のブログにはあんまり父親の話は出てこない。30歳の時に両親が離婚しているのだけど、その頃はあまりブログやWeb上にプライベートなことを書かないように今よりもずっと気を付けていて、その頃に何があって何を考えていたのかの記録が抜けている。その次のライフイベントは結婚で、さすがに書かないわけにはいかなかったのではてなダイアリーにメモを残している。父親は離婚以降、私に連絡をよこさないまま、私が43歳の時に67歳で亡くなっている。
その最後の4年間にひどくいろいろなことがあって、それらをうまくブログに書くことができなかった。端的にまとめれば、父親の再婚相手から「父親が倒れたので連絡が欲しい」という連絡があって、それらのペースが常軌を逸していると私には思えたのと、病気の時だけ「会いたい」と言ってくるのはどういうことなんだというほのかな怒りと、「普通親だったら離婚した後になんか子どもに連絡するのでは?」という呆れ、いろいろなものがあって、私は最終的に死去の連絡が来るまで、私から連絡を取ろうとするアクションは一切起こさず、葬儀にも出席しないまま今に至る。
ここだけ取り出すと、「最期くらい連絡を取ればいいのに」とお思いかと思う。無料部分に一応結論だけ置くと、「父とだけでなく、再婚相手とも会いたくなかった」のであった。