写真は新世界のスマートボール屋さんに貼ってあった貼り紙。一見すると普通の遊び場に見えるから、子供が入っちゃうんでしょうね。100円分しか遊びませんでした。当たる気がしなかった。
あれこれと思い出す発端は、夫による「スーパー玉出のオリジナルTシャツの新デザインのLが欲しい」だった。大阪市の中でも比較的南側に散らばっているスーパー玉出を巡るのは割と大変だ。恵美須店と岸里店に行ったけどなかった。私は激安サコッシュを買った。
これ、どこに持っていくねん。
私が大阪に住んでいた頃に一番助けられたであろうミスタードーナツで休憩をする。2番目に助けられたのはマルビルのスタバで、いつもシナモンロールを食べていた。
近所で一番美味しいお肉のお店は健在だったのがうれしかった。Revoといいます。2回しか行けなかったけど。
岸里に住んだたった1年弱の間に、これでもかというほどいろいろな出来事があって、よくぞここから京都まで通っていたなと思うし、東日本大震災でめちゃくちゃな編成になったテレビでまどマギを床に直に座ってみていたあの頃、東京に引っ越す頃には心身ともにずたぼろの状態だったのを、今でもよく覚えている。荷造りが終わってない状態で行った鳥貴族、引っ越しのトラックが来る3時間前までダンボールと格闘していた日。はてなに勤めた初期の頃の思い出。
その後通天閣近くの、いつも行っているお蕎麦屋さんに向かったら、目の前でのれんがしまわれているところだった。しょうがないので新世界をぶらぶら。私が16年前に住み始めた頃とはだいぶ違っていて、観光客ナイズされた上にインバウンド対応がかぶさって、外国人観光客の大群に押し流されて薄暗いものや小汚いものが消え失せた、という感じの街になっていた。観光客がやたらと写真を撮っていた。日本におけるメジャーな風景ではないんだけど。
ジャンジャン横丁もなんだかきれいになった。昔はジャンジャン横丁を1人で歩くのはなかなか勇気が要ることだったが、今なら歩けそう。
予約なしで「鯛よし百番」に行けるかどうかチャレンジをするために、ずいぶん気を使ったルート選択をした。何しろちょっと路地を入ると、すぐに飛田新地の並びに入ってしまうのだ。お客さんがうろうろしている中で「観光客でござい」をやる勇気は、私には、ない。結局鯛よし百番は開いておらず、ちゃんと予約してから来ようねということになった。
阿倍野の高層マンションの道を抜けて、近鉄百貨店のレストラン街で美々卯。安定安心美々卯のおうどん。天王寺駅を歩いていると大阪阿倍野橋になっちゃうのはどうしてなのか、今でもわからない。
帰りは御堂筋線天王寺駅から梅田駅まで一気に移動。岸里から京都に行くなら、四つ橋線の岸里から西梅田、桜橋口からJR京都線へ、取り巻く風景は変わってしまっても身体は覚えている。お疲れだったね自分。いろいろあったね自分。でも岸里のことは便利で穏やかで良い街だと思ってて、もしいろいろな歯車が違う動きをしていたら、私はもう少し違う関わりを持てたかもしれなかった。結局大阪では、夫を介さないリアル友達はできなかった。
ホテルへの帰り道に、ミャクミャクさんのマンホールのふたを撮った。