函館に行ったよ

yapcjapan.org

Perlを中心としたエンジニア向けカンファレンス「YAPC::Hakodate 2024」というのが北海道は函館市で開催されまして、それにスタッフとして参加してきました。

(参加エントリーは別途ちゃんと別のブログで書く予定です)

で、久しぶりに函館に行きました。いろいろ予定が詰まっていたので、純粋な観光ができたのは数時間という感じではありましたが、函館はいいところだなと思いました。コンパクトで巡りやすく、市電はかわいいし、頑張れば歩いて移動できる(市電に乗る方が楽だけど)。

今回は五稜郭方面に行けずに終わったので、もう一度函館に行って、そこから鉄道で札幌まで移動するというのを再びやりたいです。特急で4時間かかるのさすがにしんどいんですが、一度やったときの風景の良さが忘れられない。

最近は安定していますね

diary.toya.blog

ちょっと前に虚無感(正確には「無」)の話を書いたのだけど、YAPC::Hakodate 2024の準備とか本番とかをやっていたらちゃんと無ではなくなり、そのあとは無に悩まされることはなくなった。

とはいえいつ何時「無」が襲ってくるかわからないので、聞いているポッドキャストOssan.fm」にわざと影響されて本を買ったり、

セルフジェルネイルの機械を買ったりして、

日常に楽しみの罠をなるべく仕掛けるようにしています。

また、いろいろなお誘いやイベントにもなるべく積極的に出かけるようにしています。YAPCがひとまず区切りとなったので別のイベントも見つけて出かけてみよう。

はてなブログの自動生成アイキャッチ画像をデコってみた

すべてはこれを見てくれ

spica-mic.hatenablog.jp

「HTML/CSSわからなくてOK」とある通り、読んでその通りにいろいろ変えていったらできた。めでたい。大変ありがたい。すぴさんありがとうございました。

どんなコンセプトでデコったか

大昔のドラマ「Trap-TV」に多大なる影響を受けているので、あんまりカラフルという感じにはしなかった。ベースはブルーグレー、それにあわせてぽちぽち色を付けていった感じ*1faviconをがんばってSVGファイルにしたところが一番大変だった(フォトショで扱えないのね……知らなかった)。あとfaviconは50%(丸)じゃなくて25%(ちょっと角丸)にした。角丸って打ったら「革マル」が出てきて驚いた。ぶっそうなワードだ。

グラデーションにもチャレンジしたかった

が、Trap-TVはグラデーションとはほど遠い世界なので、ここではいったんなしに。

みんなもはてなブログの自動生成アイキャッチをデコるといいよ

最新CSSの知識がなくても、すぴさんのエントリーを読んでその通りにすればカラフルにもシックにもキュートにもできるよ!!

*1:実際のTrap-TVにそろえると黒と白と赤になっちゃって、それはそれであんまりやりすぎでは?と思ったので、シンプルでシックな感じを目指した

更年期障害で「無」になることってあります?

「虚無」ではなく「無」です。

虚無っていうと、むなしさとか、抑うつ状態とか、そういうニュアンスが混じるじゃないですか。そうじゃないんです。何事にも心動かされないし体もあんまり動かない。ストレッチとかしてもだめ。無。

昨日の朝に突然そういう感じになり、「これはだめだ」と思ってあきらめて休みを取り、寝ていました。寝てても起きちゃって、いつの間にか寝ている。そんなことばかり繰り返していました。

昼は夫が買ってきてくれたものを食べ(味があまりしなかった)、また横になる。一応暇だとは感じるのでスマホを眺めるも、何も心に引っかからない。指先でスクロールする時に「ひっかかり」がない。

PCを開く気持ちにならないので、じゃあ本ならなんとかなる?と思って読みかけの本をぱらぱらしても頭に入ってこない。

この辺でやばいな、と思えてきて、というよりは「何も感じないのでこれはあんまりよくない状況だろう」と思って、とにかく大人しく寝ていました。無気力とか抑うつとかとは違うんです(必死)。

今朝は普通に起きられて、普通に会社に行って(私は出社族です)、朝礼に出ていたら、会社の偉い人から手を振られたので手を振り返すという事案があり、「表情がすごく硬いからどうしたのかと思って」と声をかけてもらってしまいました。自分じゃそんなつもり全然なくてびっくりした。丁寧にお礼を言って、正直に「更年期障害かもしれなくて」と伝えました。

そう、更年期障害の一種なのかなぁと思っていたのです。でも「無気力」「倦怠感」とはちょっと違うニュアンスなので検索ワードに困りました。「更年期障害 無」でぐぐると「なかった人」「軽かった人」が出てきてそうじゃない感がすごい。自分の身に起きた謎現象をMastodonにとりあえず記録したら、「更年期障害かもしれないなら婦人科へ!」とリプライをいただいたので、ちょっと行ってくるか……と思っています。

さまざまな体調不良を経験してきた中でもちょっとよくわからない不調すぎてびびったので、緊急執筆しています。たとえば不安感なら頓服とか、不眠なら眠剤とか、虚無ならやる気出す薬とか、それぞれ対応法ってあると思うんですが、無なんですよこれが(全然伝わってる気がしない……)。

次に同じ症状に見舞われたらとりあえず婦人科の予約取って駆け込めるくらいの気力を出せるように、ここに記しておきたいと思います。

文字通りに悪い夢を見る

「さあ、これから寝よう」と思うとき、かすかな緊張感がある。

翌朝のことを考える。

寝覚めはいいだろうか。無事に起きられるだろうか。悪夢を見ないだろうか。

3つ目の「悪夢」が結構、私の睡眠にとっては一大事で、悪夢を見なければ「寝覚めはいい」「無事に起きられる」の2つは自動的にクリアできる。

クリアできなかった時は大変だ。動悸がする時もあれば起きられない(起きてすぐ強烈な眠気に引っ張られるようにして寝てしまう)時もあり、起きたはいいけどずっと気分が悪くて何にも手に付かない時だってある。

対策としては「なるべく早く寝てなるべく早く起き、始動時間までのバッファを持っておく」ことくらいしか、今のところ有効な手立てはない。

あまりにも悪夢を見まくる上に具体的に生活に支障が出ているので、かかりつけ医に相談したところ、一応漢方を処方してもらえた。飲んでいるけど、効いているんだかいないんだかさっぱりわからない。気休めでもいいか、と思って飲み続けている。

具体的には「その時一番気がかりなこと」が手を替え品を替え現れる夢だ。ここ1年くらいはずっと家族の夢を見ている。何を不安に思っているかが丸わかりで面白い。次点としては「就職先がない夢」「大学を卒業できない夢」。起きて、私は今働いている、社会人となって収入を得ている、と確認して、ほっとする。もう25年も社会人をやっているとは思えない夢である。

家族関連の夢は、お互いに死ぬか死なれるかしない限り一生見続けることになるのだろう。宝くじが5億円くらい当たって、誰にも言わずに金銭的な悩みが晴れた状態にならない限りは。

寝る前に緊張感があるが故にリラックスした状態で入眠できないのだから、そりゃ悪夢だって見るだろう、と思うけど、鶏が先か卵が先かの課題なのでどうにもならない。私はいったいいつになったら安眠できるんだろう。

おごりおごられ論争とか割り勘論争とか

書く気持ちになったきっかけ

1999年くらいからもう「割り勘論争」やってた当事者です

私だけってことはないけど、日記リンク集「日記猿人」にWeb日記を登録していてある程度活発に読んだり見たりしていた人は、単なるハイパーリンクをメモ帳でこつこつ書く時代から「割り勘(あるいはおごりおごられ)論争」があったのを記憶されていると思います。いや忘れちゃっていいと思うんですけども。

私は当時のWeb日記*1でよくその話題に乗っかりました。20代は若かったね。おごり・おごられで序列が付いたり優位性が生まれたりするのが本当にいやで、だいたいのツーショットオフ会*2できちんと割り勘にしていました。当時Web日記を通じて遊んでくれた人はたいてい年上だったから、というのもあるかもしれませんが、社会人になりたてほやほやだった私は「学生なら許されるけど社会人なら自分の飲み代は自分で払いたい」と強く考えていたのでした。

挙げ句の果てに、Web日記関連のちょっと大規模な飲み会で、男女関係の話で大げんかすることになる*3のですが、それはまた別の話。

その後の思考の変遷

実際にその後自分がどうなっていったかというと、とんがりまくっていた20代を経て、「まあ相手に余裕がありそうだったら出してもらってもいいのかもしれない」と思った30代を過ごし、40代になると「可処分所得が多少なりともあるんだからやっぱり自分の分はそこそこ払おう、でも全部が割り勘じゃなくてもいいや」に落ち着きました。いやー本当にWeb日記をがしがし更新していた頃の私は若かった。でも間違いだと思ってないし、そういう気概を持つ20代女子がいてもまあいいじゃん?と懐かしく回想できます。

25年前くらいから「おごり・おごられ」「割り勘」の論争ってどうしても当事者がいるからなくならないわけで、歴史は本当に巡るなと思いながら、最近のX(Twitter)を眺めています。

*1:どこかのPCにデータが眠っているが、Web上には今はないです

*2:という呼び方をしていたんです当時は。今だとサシ飲み?

*3:サプライズでホテルのバーとかで夜景見ながらプレゼント渡されると女性は喜ぶんだ!と主張していた人と。意外とまだ覚えてるな……

「一兵卒としての古参」として生きるには

今の会社に入ってから16年が過ぎ、17年目に入って、押しも押されもせぬ古参社員である。弊社は創業から23年ちょいなので、絶対値的にも割合的にもそうなる。もしもうちょっと古い最初の会社で25年勤め続けたとしても古参にあたるので、一般的な会社員として古参といってよいだろう*1

今回は「老害」ではなく「古参」の話。

相対的に古い時期に入社する人はその後増えるはずもないから、相対的に新しい時期に入社する人が増える一方で、減っていくしかない(以降「相対的に」は省略)。当然古い時代に関する記憶もそれなりにあるので(薄まってはいくけど)、歴史的経緯などを解説するには役立つが、あまり古い時代のことを持ち出しても「古代の話」となってしまって役に立たないことも多々ある。ミームなどもそれである。

IT業界にいるという特性上、役に立たない経験や知識は本当に役に立たないのだが、その現実を認めるのは過去の自分ごと否定することにうっかりつながる。思い出話もうかうかできない。そもそも思い出話を語れる人が少ないし、積極的に語りたいかというとそうでもない話だってある。

100年続く会社であれば、過去の知識や経験は「社史」として整理され、記録されていき、現在を生きる人は安心して忘れられる。必要があれば資料にあたればいい。「そうか、記録することで語り継がなくてもよくなるのか」となんだか大学で学ぶメディア論みたいなことを考えてしまった。

ここで突然話が吹っ飛ぶのだけど*2正教会キリスト教の宗派)に「永遠の記憶」というものがある。

永遠の記憶 - Wikipedia

過去に検索してたどりついたはずのページが今Googleで全然出てこないのでWikipediaと記憶をもとに書くが、この場合の「記憶する」主体は神で、人間ではない。キリスト教における全知全能の神が、その人のことをすべて(誰も見ていない行為や祈りも、髪の毛までも一本残らず)覚えているので、肉体的に限界のある人間はすべて覚えている必要はない。だから、神が永遠に記憶してくれるように祈る、みたいな解釈が可能だったという覚えがある*3。この「永遠の記憶」の話を見た時、人間は時間的に有限の存在だから、ロゼッタストーンやら竹簡やら何やらに記録を残し、紙を発明し、印刷術が生まれ、なんとかして記録を後世に残すように頑張ってきているのだなぁ……と感心した。

私は図書館が好きだったりはてなブックマークを愛用していたりとアーカイブ魔なところがあり、なんか幼少の頃から「テレビが記録できないのでメモを書く」みたいなことをやっていて、その原点というか最初のこだわりが「幼稚園で起きたことをすぐ忘れてしまうので、定期的に思い出そう」みたいなことを意識して「あの時はああだった、こうだった」と記憶に定着するように頑張っていたということだったのを、ふと最近思い出した。文字の読み書きができない頃からやっていた。具体的には幼稚園の年中の「ばら組」だった頃にスタートしていて、そのせいか普通はあまり記憶を持たないはずの幼稚園の頃の記憶がめちゃくちゃある。

初期のGoogleの「すべてを検索可能にする」という目標がとても好きだったのも、成長する有機体である(by ランガナタン)図書館が好きなのも、後付けで得た知識から来るものではなくて、生来の傾向なんだなぁ、とひどく納得した。

だから、過去に得た知識や経験や起きた出来事などが放置されたり忘れ去られたりするのがなんだか残念だと思う気持ちが強いんだろうなと思った。世間ではかつて「左遷されたり冷遇されたりした結果、社史編纂室に配属される」という設定があったものだったけど、私だったら喜んで異動するわ、社史作りたいわ。どこかで社史編纂室の募集してたら応募したいくらい。でも今の世の中ではそんな贅沢な職種はきっと存在しなくて、あったとしても本当に有能なアーキビストがめちゃくちゃ活躍してたりして、私の出る幕はないのだろう……と思うと、「一兵卒としての古参」の存在意義というのは本当に難しい。

*1:内科的には「若いので」と再三言われる。そりゃそうだ

*2:この記事は日記であってブログではないので特に読みやすいように編集したりしていないのです。すみません

*3:正教会の方でもし間違いを指摘してくださる方がいれば、修正しますので、お知らせくださいませ