ブログか日記に書きたいなって思ってるのにまだ書けてないネタたち

  • 6月に酒田に行った
  • バーミヤンの台湾フェアで飲み食いした
  • 顔面痛はなんとか治ったっぽい……?
  • 散歩始めた
  • バイク関連の漫画を何冊か勢いで読んだ

まとまってプライベートなことを振り返る時間がねえ!!!!!!!!うおお!!!

顔面が痛い!その時あなたは?

山形県酒田市に旅行へ行って帰ってきた翌日の午後、会社で、なぜかこめかみが痛くなってきました。旅行の疲れが出たのかな、偏頭痛かな、と思っていたけど、どうも様子が違う。こめかみの奥ではなく表面(?)が痛いのです。触ると痛い。一度は触った瞬間に激痛で「いてっ」と思わずリアルにつぶやいてしまったくらいです。

市販の痛み止めを飲んで対応し、よく寝れば治るんじゃないか(偏頭痛への対応)と思って翌日も過ごして、夜には友達と会う予定があってたくさんおしゃべりをして、痛み止めをまた飲んでよく寝ました。

今朝起きてみたらこめかみに加えて上あごと下あごも痛い。激痛ではないけど満遍なく、順繰りに痛いので、明らかにおかしいなと思いました。

そこで会社に午前休を取る旨連絡を入れ、一番近い神経内科までバスに乗って行ってみたのですが、完全予約制で予約ができるのが5日後。いや無理っす、と丁重にお断りして、神経内科はないけど普通の内科があるかかりつけ医までたどり着き、内科で受診を待ちました。事情を説明したらとりあえずMRI検査をしましょうとのこと。さくっと予約が取れたのでよかった。頭部のMRI検査でがんがんごんごんいうやつです。あれに入るとだいたい寝てしまうんですが今回もだめでした。気をつけていたのに。

しばらく自分の番が来るのを待ってから再び診察。MRI検査の画像を見る限り、脳腫瘍や動脈瘤はみとめられないとのことでよかったです。が、専門医に見解を問い合わせるので来週また来てください、だそうでした。経過観察でロキソニンムコスタを処方してもらって終わり。

帰宅してからもあんまり痛みは取れず、集中力が散漫で、仕事をちょっとだけして退勤させてもらい、しばらく横になっていました。そうこうしているうちに叡王戦で伊藤匠七段が藤井聡太叡王を下し新叡王に。すごい。

これを書いている今は少しひりひりする程度に収まったので落ち着いています。顔面神経痛ってやつかな、と予想を立てていたのですが、素人診療はよくないので医師の前では症状の説明にとどめており、結局なんなのかはわかっていません。でも「片側だけ痛い」というのは割と心配になるもので、脳のメジャーな疾患が現時点で否定されたのはとりあえずよかったです。

顔が痛いと判断力が低下するので、病院のWebサイトは普段からチェックしておきたい。しかし神経内科を専門にしている病院のサイトなんて普段は見てないですね……。まあもうこうなったらだいたい内科でしょうがない……。

食べたりしゃべったり

新型コロナウイルスに感染してきっかり5日間伏せっておりました。

先週の水曜に夫がコロナ陽性の診断を受け、コロナ禍に入ってから今まで人の流れの多いところにいる仕事なのによくぞここまで回避してきたなぁ、などと思いつつマスクと手洗いでなんとか家庭内感染を抑えられるのではないかと思ったのですが、無理でした。

当日にのどに違和感が出てきて、翌日木曜には微熱、発熱外来を受診したらあっさりコロナ陽性。「家庭内感染はどうしてもあるんですよねー」「しばらくごろごろしていてくださいー」とお医者さま(前日夫を診てくれた人)。コロナ用のお薬はいろいろな経緯を経て今は価格が高いそうで、1日解熱を繰り上げるくらいしかできないとのこと。そりゃまああきらめるわな。

帰り道になんとか当面の食べ物飲み物を買い込んで帰宅し、仕事を休み、寝ていたら熱は39度近くへ。このまま入院するくらいになっちゃったらいやだなぁと思いながら寝て食べて水飲んで寝て、を繰り返し、その次の日(金曜)も当然のように仕事を休み*1、寝て食べて水飲んで寝て、を繰り返し、土日も熱は下がったもののひたすら寝て食べて水飲んで寝て、月曜にはなんとかならんか?と思ったけどやっぱりだめで仕事を休みました。月曜の夜にすーっと身体が楽になった。お医者さまがくれたパンフレットにあった通りの5日間。

今日は発症から5日間経ったし会社に行くぜ!と思って颯爽と(実態はふらふらと)オフィスに行ったものの、社内のガイドラインでは診断初日を0日目とカウントすることに気づいて引き返して、自宅で仕事をしました。

在宅に切り替えたしまあいろいろなんとかなるだろ、と思っていたら、病み上がりのせいかミーティングでは訳の分からないことをまとまりなく発声するだけの物体になってしまい、普段はそれなりに人間の形を保てているものだなーとつくづく思いました。社会性という型にでもはまっていないと、しゃべる内容すら制御できない。

オンラインで写し出される映像というのは残酷なまでに自らのアラを隠してくれないものだなと普段から思っているわけですが、今日はさらにしんどかったですね*2。5日間あんまり多くのものを食べていないし最低限のことしか話せていないので、表情筋が弱っており、口元がしょぼしょぼして見えるんです。

老いよりも病の方が身体を殴りつけるパワーがある。普段は(いいことではないかもしれないが)よく食べるし(うるさいほど)よくしゃべるので、口は結構動かせていたんだ、という新たな学びを得ました。

老いや病に対抗するには筋トレとか有酸素運動とかがいいのかもしれないけど、食べることもしゃべることも大事なんですねぇ……。

*1:もちろん業務が片づかないので非常に困っており、これを書いている今もなおリカバリができていない

*2:相手から見られる映像についてはもうしょうがないのであきらめている。盛ったりしてない

食生活改善の一歩::サルサタコライスの自炊記

2月中旬から食生活が荒れており(風邪引いて寝込んでるのに食欲は落ちないので、UberEatsでマクドナルドなどを頼んでいた)、体重増加はしょうがないとして(そうか?)さすがにあちこちよくない感じになりつつあるので、一人で晩ごはんを食べる際に自炊にチャレンジすることにした。なぜ一人かというと、夫に作って食べさせるものではあまり実験性を持たせたくないからである。一人の場合は雑に失敗したら潔く捨てて別のものを食べるなりなんなりできるわけで、うまくできたものは共通の食事に導入してみようと思う。

その第一弾として(そうです3月からスタートしたのです)、サルサタコライスを作ってみた。レシピは以下より。

簡単レシピに属するものとはいえ、一人分をうまいこと作るのは難しく、材料の使い切りの観点から玉ねぎが指定の12倍になったりトマトが2倍になったり、きゅうりがどうしても見つからなくてピーマンで代用したりと、なんだかちょっと違う料理になったかもしれないが、市販のサルサソースを使うことなくなんとかそれらしきものになった。くだんの理由から写真はなし(サルサ部分が山になってしまい、非常に見栄えが悪い)。

当初の目的の1つである「野菜をなるべく食べる」もそれなりにクリアできたと思う。私はどうしても生野菜が苦手で、野菜の摂取を出来合いのお惣菜に頼ることが多く、塩分過多になりがちなのだが、結果としてトマトと玉ねぎとピーマン(本当はきゅうり)がメインになったのでよかった。

改善点としては、もう少し材料の切り方を丁寧にすること(一人で食べると思うと雑になる)、材料を指定の分量通りに近づけること(せめて6倍くらいでおさめたい)、ごはんは自分で炊くこと(時間の兼ね合いでレトルトごはんにした)、かな。とはいえ初回で買い物に行って帰ってきて材料を切って調理して食べるまでに1時間10分でなんとかなったので、まあ自分にしてはよくできた方だと思う。

入院していた頃を思い出して野菜を摂ることを心がけていきたい。病院食の野菜料理のレパートリーはすごかった。

発想の練習:要素が対照的な言葉からの画像生成

せっかくChatGPT 4に課金しているので、毎日ちょっとずつ何かしらやりとりをするようにしていて、最終的に画像を生成するところまでがワンセットになりつつある。これは「要素が対照的な言葉の組み合わせ」を何回か出してもらって、そのうちの「鉄とりんご」から生成してもらった画像。自分ではできない発想をしてくれるのでいい練習になる。

新しく欲しいレンズが見つかってしまい、社のSlackチャンネルで物欲の後押しをしてもらった。3/1になったらポチるか……。

X(旧Twitter)で以下のようなポスト(tweet)を見かけて面白かった。

自分が生まれる前には明らかにインターネットがなかったから、似たような体験がなかなか思いつかないんだけど、生まれる前の映画や映像や写真を見てもあんまりこうはならない。なんだったら「よくぞ取っておいたなぁ」という気持ちになるし、美術館や博物館や図書館が生まれた頃からあるので(質はともかく)、似た体験をしないまま終わりそう。ゲームなら想像は付くかもしれない。スーパーマリオ初代とかドラクエIとか。

スマホだとAIタイトルアシストが使えない

のだった。本文書いてアプリにコピペして……などもできるけど簡易版で。

技術広報や採用広報の人たちが集まる会に参加してみた。むかーしちょっとだけ(職歴で相対的に見ると本当にちょっとだけになってしまって残念)広報をやったのと、YAPC::Hiroshima 2024のスタッフをやったのとで、アイデンティティがごちゃ混ぜになり、何の立場で私は今ここにいるんだっけ、というのがよくわからなくなったりもした。

登壇した人や、今日見聞きしたエンジニアの人の話(これは別件)を体感して、みんなちゃんとしてるなぁ、私もちゃんとしないとなぁ、と思ったところで気づいた。残酷だけど、私はもうこの人生1周目では手遅れなのだ。ちゃんとしようとして長年生きてきたけどもう無理なのだ。職場や職業は変わるかもしれないけど、「ちゃんとした人になりたい」という昔からの夢は夢のままで終わるだろう。これはしょうがない、あきらめたまえ、という気持ちが湧いた。

よく「欠点も丸ごと自分なのだから丸ごと愛さないと、認めないと」みたいなこと言うじゃないですか。あれは「愛する」っていう動詞がクソデカだから「私には当てはまらん!」と反発したくなってしまうのだけど、「欠点は直らないからあきらめろ」だったらわかるわ。めっちゃわかるわ。そりゃ長いこと人生1周目に取り組んでいるので、そこそこ「普通の人」に擬態する術はわかっているけど、本質的な部分はどうしたって変わらなくて、私は「ちゃんとできない人類」の方なんだよなと自覚して生きろよ、というのが「丸ごと愛せよ」の言いたいことなんだろう、というのがなんとなく腑に落ちた。

めちゃくちゃだめな人という意味じゃないのです。ちゃんとしてない。ちゃんとする素地がない。まあ真面目ではある方だと思うけど。

何が言いたいかというと自己嫌悪とかではなくて、なんかすごい人ってちゃんとしてるよなー、というざっくりとした気づきがあったという日だった、という覚え書き。「という」が連発で悪文だ。